夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

2010-01-01から1年間の記事一覧

グノーシスと仏教。

池田晶子さんはこういった。私は宗教については詳しい、と。であるからして、宗教について述べるが、もし仮に自分を教祖のように考える読者がいたら書き手としては敗北である、と。宗教とは、考えることが契機になる気がする。そして又池田さんは言った。悩…

グノーシス神話が答えようとするもの。

グノーシス神話が答えようとする人間の実存的な問いかけとは。「われわれは誰であったのか。われわれは何になったのか。われわれはどこにいたのか。われわれはどこに投げ込まれているのか。我々はどこへ行くのか。われわれは何から解放されたのか」アレキサ…

無とは。

「無」が存在した時があった。この「無」とは、存在するものの一種だったのではない。そうではなく、単純かつ留保なしで、いかなる屁理屈もなく、全面的に「無」が存在したのである。「存在した」というのは、(何かが)「存在した」kとを言い表したいのでは…

内田樹、グノーシス。

街場の教育論 内田樹、P.153知とはなにか一つの精神がおのれの外部にある別の精神と触れるのに用いうる唯一の道具、それが知である。 エマニュエル・レヴィナス P.251宗教教育は可能か私自身は宗教性ということをこんなふうに考えています。 自分を無限に広…

グノーシス。

人生の目的とはなにか。生きる、とはどういうことか。死とはなにか。 池田晶子さんの著書を読んでいると、そんなことを聞かれている気がしてくる。勿論その根底には”私とはなにか”という言葉が常に流れる主旋律のようにあり、善とはなにか、ということが骨太…

久しぶりに僕は神戸の風を。

神戸の街を久しぶりに歩く。それは奇妙な2日間であった。神戸へ向かう新幹線の中では、村上春樹が多分神戸での震災を下敷きたる基本旋律とした短編集”神の子どもたちはみな踊る”のなかの「蜂蜜パイ」を読んだ。村上のような主人公、少なくとも自己の要素を投…

家族とは。

家族とはなにか。現在の自分があるのは、生命としての自分が生まれたのは考えてみると奇跡のようなもの、危なかっしい偶然の産物であるといえる。誰も生んでくれとは頼んできたものはおらず、死ぬまで生きている。過去になにかの偶然があることで自身が今こ…

呪い。

と題する文を書くとバックアップ失敗で消えてしまった。やはり題材が題材であるからか(苦笑)。面倒なので、POINTのみ思い出して書いておく。現代人の祈り、P,12-15で内田樹氏が橋下大阪府知事を評し、問題を非常にシンプルな枠組みに書き換える天才である…

遺す。

村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」を読んだ。村上は自身を論理的な人間ではないという。語ることは苦手であり、書くことにより自身の考えていることが自身でわかってくる、という。日本語で語ることは苦手である。英語で語るときは、少し…

村上春樹を読んでいる。

村上春樹”夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです”を読んでいる。これは1997年から2009年までの村上春樹へのインタビューを集めたものである。この本は、”僕はこうなんだが、君はどうだ”と問いかけてくる。読み進めながら、僕は村上春樹との共通点と違う点を…

真実の言葉。

ジュンク堂で立ち読み。赤場末吉画集から。満州で育った末吉が日本に帰ってきて、都営住宅の小さな庭には、花を植えて子供たちを遊ばせたという。子供は花について特になにも言うことはないけれど、そこで遊んだということが大事なのです。というようなこと…

一宮市三岸節子記念美術館。

小雨の中、予備知識なく美術館へ向かう。”私にとって、絵画は求道である。心の平和への階梯である。 私は絵画の探求のなかにあって、発見し、歓び愉しみ、追求し、より真実なるものへと歩みよっている。人間成熟への道である。生活の哀歓のすべてが絵画につ…

少女たちのワルプルギスの夜。

かたつむりとかわうそと。魂の上澄み液のような物語。湖のあずまやでのパイナップルソースをつけたスパゲッティのパーティにはかわいそうに”うさぎははいれません”。そして”オレンジ色のものは”なにも身に着けてはいけないのである。”パンティでもだめなのよ…

バーバラ・クーニーの絵本。

涼しくなった。夏の間は全身にパワーウェイトがついているように、暑さが体を覆い、締め付けるような感さえあったが、あっさりたががはずれたような気分で、体はラクではあるものの、なんとはなく物足りないような、物悲しいとまではいかなくとも物寂しいく…

宇野亜喜良展へ行った。

刈谷市美術館で開かれている宇野亜喜良展へ行った。初日の10時半からは、昨日から名古屋入りされたと思われる宇野さんのライブペインティングがあり、トークショーもありサイン会もあり、と豪華なスケジュール。名古屋出身で76歳の宇野さんが、黒いジャケッ…

考える。

結局は自分で考えたことしか、自らの血肉にはならない。人から聞いたことは、その場しのぎとなるだけ。 そして池田晶子さんは言った。 悩むな! 考えろ! 悩むことと考えることは似て非なるもの。どれほど多くの人が、悩んでいながら自分は考えていると思っ…

ファッションとは。

ファッションとはなんであろか。中国では、かつてわかりやすい象徴として金無垢の時計が良いとされた。戦争が起き、避難船に乗るときその時計があれば乗せてもらえる、個人用セーフティネットのようなものだ、と。 そこには金の純粋な美がどうしたこうした、…

借用本と購入本。

図書館で借りた内田樹「街場の教育論」。街場の教育論作者: 内田樹出版社/メーカー: ミシマ社発売日: 2008/11/15メディア: 単行本購入: 21人 クリック: 114回この商品を含むブログ (128件) を見る師を持つことで、そして師は自らも綿々たる教えの流れの一端…

書写。

汚い自分の字で書いても、池田晶子さんの文を写すとその文に現れるのは池田さんの精神であり魂である。魂の気配、のようなものかもしれない。この書写という行為、これはいわば魂とまみえる行為、なのかもしれない。行きながら死んだ人のことを考えるという…

心と体は別物か。

直感として心は深く自らの肉体に結び付けられているが、肉体とはまったく別のものである。 (これを大きなテーマとしているのは、人気漫画”鋼の錬金術師”であろう。26巻をコンビニで立ち読みして思った。)肉体即ち”乗り物としての”肉体の変化と、心の変化は…

新・考えるヒント

43歳の時の池田晶子さんの著作、”新・考えるヒント”を再度読んでいる。本というものは、一度読んだらその後何度も読むのが辛い本と、何回でも読める本がある、とつらつら考えている。 何回でも読める本は、どちらかというと一回ではよく意味がわからないこと…

名編集者。

近頃電子書籍に移行すると目利きの編集者の目を経た文章が出版される、という従来の図が崩壊し、玉石混交となることが懸念されている。そも編集者とはどういう職業であるのか。直感的には、ほぼすべからく自ら文章を書きたい、という意志を持った人種であろ…

ファーストクラスの客の読書。

日経ビジネス2010.8.9.16号P.83,美月あきこ氏(人材コンサルタント)談の骨子。ファーストクラスの客(雰囲気から経営者)は、書店の袋を抱え、中には真新しい本10冊。速読するかのように素早く、10時間のフライトで12-13冊読む。読み終わったら「もう必要ないから」と置…

世界に自分を差し出す。

世界に自分を差し出す、ということばが気になる。例えばこうして記事を書くことも、自分の心の持ちようによってはその行為の一つと言えるだろう。

早朝の効能。

今日は4時過ぎに起きてきて、こうしてPCに向かっている。数ある早起き本にもあるとおり、又古来”早起きは三文の徳”というように、最近は早起きすることが愉しみであることが多くなった。勿論ある程度の睡眠時間は必要である。禅寺では日没にて休み日の出…

横浜出張。

久しぶりに新横浜へいった。思えば昔は神奈川県の住民であったこともあった。横浜の海沿いの工場で、見学の時の浜風は生ぬるくも湿気で湿っていた。 行きしなの新幹線で大平正芳に関する新聞記事を読み、こちょこちょとメモに書いているとすぐに新横浜。深い…

夏の草花たち。

7月に入り、カサブランカが咲いた。高さ1.8Mくらいでてっぺんに花が7-8個咲いて大変豪華であった。花期は約1週間というところか。花が重すぎて茎が耐えられず、近くにあったアジサイの幹から紐で押さえた。持ち上げるときに持ち重りがした。最近の暑さで…

大相撲に、怒れない。

大相撲の野球賭博が話題になっている。新聞を見ると、コラムの論者は怒っている。 大相撲の古い体質での不祥事の頻発に、”少年ファンの夢を壊した”ということでけしからん、と。暴力団の資金源になる法違反の賭博は勿論いけないことなのだが、僕はいつもそれ…

池田さんと美貌。

池田晶子さんは、その美貌で有名である。人に言われる。池田さんは綺麗だ。そうそう、ちいさなときからいわれましたね。人に言われる。池田さんは美しい。そうか、ウツクシイか。あははっ。 ひとはふつうあなたはウツクシイといわれると、否定して肯定するか…

時間のない時間。

朝、飾り葉ゼラニウムの花ガラを取っていると、近くに住む82歳だというおばあさんに話しかけられた。うちの家の横の横の田んぼが埋め立てられているが、所有者が亡くなって相続税が5億円必要なのだからだとか。蛙が思ったより長生きをするのを知って、その田…