朝、飾り葉ゼラニウムの花ガラを取っていると、近くに住む82歳だというおばあさんに話しかけられた。うちの家の横の横の田んぼが埋め立てられているが、所有者が亡くなって相続税が5億円必要なのだからだとか。
蛙が思ったより長生きをするのを知って、その田んぼで鳴いていた蛙たちのことが気になっていたが、昨晩は門の上の灯火に惹かれてくる虫たちが目当ての蛙たちが5匹いた。こちらへ避難してきてくれているといいのだが。
中国からやってきたクサガメを飼って何年になるのか。3年くらいかと思うが、甲羅の直径20センチ弱となって、2匹いるうちの1匹は黒化が進んだのでオスのようだ。夏が近づきよくえさを食べる。春や冬は大丈夫か、というくらいモノを食べないが、今は食べる時期なのであろう。自分たちで住家から這い出してきて、歩き回り、自分たちで水の中に戻る。結構カメは行動力があるものだと思った。
花に水を遣っていると、話かけてくるひとが多い。自分では結構とっつきにくいご面相であるという自負があるのだが、花を世話する自分、というものには人は安心するのかもしれない。同じことが犬猫でもあるはずだ。こちらは人間はあまりないが、たまに散歩中の犬からは猛烈にアプローチを受けることがある。
アジサイが知らない間に見ごろを迎えた。ゼラニウムは今はお疲れモード。我が家のラベンダーも玄関周りのヤツラは本年はもう終わりのようだ。アサガオ、オシロイバナはこれからの最盛期に向け、旺盛に葉を伸ばしつつあるようだ。
自然は進む。季節に合わせ。決まった、順番があるようだ。それは僕が知っていようがしっていまいが、知らないところで進んできたのである。今までも、これからも。
階段を上っていて、ふとタイトルの言葉を思いついた。
普段、寝るときも時計を外さないのだが、いまはたまたま外していた。今、何時か、と思わずにいる時間をいま過ごしていたのだな、とわかった。