内田樹さんの日本辺境論、を読んでいる。
内田さんの本やブログはよく読んでいて、この本は新書として大変売れているので、そのうち大量にBOOK OFFにでるかなあ(すみません)と思っていたが一向に出てこないので、これは本を買った人が古本屋に持っていくのが余り気が進まないような(つまり持っておきたい)本ではないだろうか、という思いが募ってきて、昨日出張の帰り道用の本として購入したのだ。
森茉莉氏の”マドモワゼル・ルウルウ”と、あと”フィンランド駅で”上巻も持っていっていたのだが、なんとなく買ってしまった。
読んでいると、丁度フィンランド駅で、でマルクスのことを読んでいるのだが、そこに関係するような箇所が内田さんの本にでてきたので、すこし驚いた。
たまたま、であるが、本の内容は少し関連しているのだ。シンクロしたな、と思った。
内容は、思い起こせば自分が日常で取っている態度の理由が、余りにも明示されている思いだ。どうしようもなく染み付いている考えや基本的な設定が、なかなか自分ではわからない前提が、示されている。将来に向かって、自らが世界標準となるものを作りだすことができないのが、辺境人である日本人である。
読んでいて、そうではない日本人を思い出した。
その人は、日本人であること、池田某、という名前であることはたまたまであるといい、では自分とはなにか、と問い、千年後の人類に向かって、わかるひとには必ずわかる、の確信を持って、書いた。そのことがいかに稀有でまぶしい行為であったのか。
この本を読んで改めて僕が池田晶子、という魂に惹かれた理由がわかった気がした。
- 作者: 内田樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2009/11/01
- メディア: 新書
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