夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

日本版画協会 第89回版画展に入選いたしました。

今日付けで会社が変わった。

 

出勤は10月3日からとなるが、土日を休めるのはありがたい。勤務地も変更となる。まったく新しい仕事なので不安はあるが、きちんと向き合ってゆきたい。

送別会等で何度も飲む機会があったのだが、コロナで日々ほとんど酒を飲まなかった上、どうも私は酒の席では水分でも食料でも際限なくのみ食べてしまうので、それが酒であった場合はだいぶアルコール量が増えてしまう。

いままでは自身の性格もあり、仕事であれば限界まで飲む、という癖が学生時代からの流れでついていたが、やはり飲みすぎは体にこたえるし、いろいろと忘れたりということもある。

なので、飲む場合は2杯まで、ということで管理してゆきたいと思っている。

さて、冒頭タイトルでも記載させていただいたが、大変ありがたいことに第89回版画展に入選した、とのご連絡を昨日頂戴した。

私は単なるマンガアニメ好きでお絵描きが好きないちサラリーマンであり、工房へは結構通ってはいるが、本格的に大学等で絵画を学んだものではない。

なので、さまざまな美大・美術専門学校出身の皆さんが集まる版画展に、まさか応募してみよう、という気持ちはおこがましくて封印してきた。

だが一つの機会として、昨年第88回版画展は、コロナの影響もあり広く門戸を開ける、という方針で、基本的に応募すれば出していただける、という記載を見つけたのだ。

ということで、昨年は出していただけたものの、本年は特にそうした記載もなく、先年とは違う厳しさで審査されるものと認識していた。

だが一度応募させていただいたことは大きい。おこがましいが、トライしてみよう、という気持ちになり、応募作の中では小ぶりだが、個人的には今までで一番の大きさの作品をなんとか1作仕上げた。

昨日ありがたくも入選のご連絡をいただいたのだ。

トライしてみて、良かったと思っている。

奇しくも前職最後の日に連絡があったのも、自身の中では長く記憶に残る気がしている。

これからも自分なりに大切な世界を追求してゆきたいと思っている。

(入選させていただき本当に感謝しています。版画展は東京都美術館で10月8日から22日まで行われます。機会ございましたら是非皆様ご高覧ください)

 

 

 

 

はてなダイアリーとはてなブログ。本記事で「夢見るように、考えたい」1000記事めとなります。

はてなブログ。2008年5月17日から途中中断を経てほそぼそと続けている。昔ははてなダイアリーといった。

初めての文章はやはりというか池田晶子さんのことを書いている。

池田晶子”暮らしの哲学”の冒頭はこう始まる。
”今年もまた桜が咲きました”

現在はどちらかというとnoteに軸足が移ってしまっており、日々の日記をそのままこちらはてなに転載するような形にしている。だがたぶん、読者になっていただいている方々はかぶっていないともおもうので、こちらの皆様へも近況報告的な感じで届けようと思っている。

なぜにはてなでnoteのことを書いたかというと、昨日気づいたのだが、昨日付でここはてなの記事が999件であったのだ。ということは、この日記をこうしてはてなに転載すると、記念すべき1000件めとなる。1年52週、中断期もあり、特に最近はnoteでほとんど毎日日記を書いているので、後半件数が積みあがってはいるのだが、まあ、足掛け14年、平均すると1週間に1本以上は記事を挙げていることになる。

単なる雑記で、ただただ書くだけ。だが昨日はてなでキイワードで過去日記が調べられるということを知った。

試しに「片山廣子」でサーチしてみると、ブログを始めて4年めの2012年5月に、なんと今書いているのとほとんど同じような文章を書いていることがわかった。なんというか、全く記憶がない。10年ひと昔というが、とにかく記憶ゼロである。

ひとつ面白かったのは、とにかく書いたことを記憶していないので、読んでみると「また同じこと書いているなあ」と思いつつ新鮮であることだ。自分の文章ではあるが、普通の文章でもあるのだ。過去の自分はもはや他人のようである。

自分とは連続した人格である、と思ってはいるものの、10年経てば中身の組成はほとんど入れ替わっているのではないだろうか(一部骨なんかはそうでもないでしょうが)。写真もそうであるが、こうしたほぼ個人的な日記のようなものが、WEBの中で容易に参照できる、というのは考えてみると面白いことではある。

(まあ、書いているトーンはほとんどおんなしですね。だがはてな初期は一人称は「僕」、最近ではおっさんによりなったので、note「では「私」としています(笑))

 

こちらが一番目の記事。やはり池田さん関係。

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こちらは池田さんと言えば外せない陸田真志元死刑囚の記事。

 

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先祖からのメッセージ。

昨日は痛飲。

アマゾンで購入した肝臓薬が効いたのかどうか、寝ているときは熱くてうなされている(眠りが浅い)感じであったが、今はなんとか平常の8割くらいのコンディションである。

体重は64.9kg、体脂肪率は10.7%。

勝間和代さんのメルマガを拝読しているが、そこで知っためでたいこさんの算命学にて先般占って頂いた。

算命学とは、各人のもつ「命(素質・性格)」を知る、ということだという。

その命に従い、無為自然に自らの命を全うする。「老荘思想」に立脚しルーツは「干支」を使い出した殷の時代(前15世紀頃)に遡る、とのこと。

 

つらつら考えるに、今私がこうして私の生の順番を生きているのは、誰かがたくらんだものではない。偶然という名の必然、あるいは必然という名の偶然によって、今、ここにいるわけだ。

例えば先祖の独りがある場所に居なければ。戦争戦乱で命を落としていたならば。今ここにこの私はいないわけである。

過去の時代、「父母、先祖を敬え」という命題をつきつけられ、納得感なく強制感だけあることへの脊髄反射的反発心から、「なにゆうとんじゃ」という感じでやってきた。

だがこうして曲りなりにいろいろ過ごして来てみれば、感謝というか、私がここにいることは先祖のおかげ、先祖の意思ではないにしろ、その日々の生活行動の結果(単なる結果かもしれないが)である、ということに思い至った。

そういう意味では、私が生きていることを感謝する、ということは、とりもなおさず先祖、父母ありがとう、ということになる。

禅に「父母未生以前の自分」という考え方があったと思う(字はうろ覚え)。直接生まれた父母以前の自分、という命題こそ、空中ではしごをはずされたような問いの設定であるが、これはいわゆるユダヤ教の「原罪」「自身が生まれる前に犯した罪」(このあたりも付け焼刃的理解ですが)と、どこか通じるところがある。

自分がなんとか生きてゆかねば、ということは当たり前だ。そこがなんとかかんとか少し道筋が立つ(もちろん現世は流転するので確実ということはないのだが)と、では「どのように生きるか」という問いが、やっとこさ、ぼんやりと立ち上ってくる。

井筒俊彦ざんまい」P.40 より、井筒の弟子である牧野信也氏の井筒からの学びの内容を記した箇所から引く。

学問に対する態度や生き方について、先生から示された多くのことのうち、今日に至るまで私の心の底にはっきりと刻み込まれている言葉がある。それは、学問においても、人生でも、何が自分にとって一番大事であるかを深く考え見極めた上で、それ以外のものは投げうって、目的に向いひたすら突き進むこと。そして全力を尽くして成し遂げた以上、決して後を振返らず、次の新しい第一歩を踏み出すこと。また、学問のための学問などというものではなく、その対象と主体的に取組み、それによって自分を厳しく見つめ、追及すべきだ、ということである。実際、先生にとって、学問とは、単に対象を理論的に研究することではなく、それを通して同時に自分自身をこの上なく厳しく凝視し、且徹底的に追及する「道」にほかならないのである。

ひりひりとした牧野氏の、そして井筒氏の決心と生き方が伝わってくる。うらやましくもある。師弟関係、ここに一つの極みがある、といえるかもしれない。

めでたいこさんに占って頂いた内容を読んでみると、原理はわからぬがこれは真実につながっている、と感じられた。日々を大切に行きたい、と感じさせていただけるものであった。ありがたいことである。

その結果の一つに、本日9月27日は、先祖からのアドバイスをしっかり受け取るべし、というものがあった。どういう形かはわからないのだが、心して受け取っていきたいとおもっている。

(この世は、とてつもなく単純でありながら、複雑なものですね。。)

 

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今こそが永遠。

今朝の体重64.9kg。体脂肪率12.7%。うーん。

昨日は散歩途中で24時間ジムへ行った。引っ越し関連でバタバタしており、毎日の運動という意味では歩くのがせいぜいであるが、久しぶりに懸垂、腹筋、すこし重量を行えたので、やることをやれた、というすっきりした気持ちである。まあ、とにかく下っ腹がぶよぶよする事態だけは避けることを最低目標としよう。

永遠とは、この知性・感覚の世界におけるわれわれの日常の体験であって、この時間の制約の外に永遠があるのではない。永遠とは、生と死の真只中、時間の進行の只中においてのみ可能である。
鈴木大拙 「禅」 工藤澄子訳

永遠ということばに接すると、まず今ここで私は流れる世界、諸行無常の世界に翻弄され流されているのであり、そことはとにかく違った世界での事象である、と感じるのが普通であろう。

この世界のしんどさとほほさの所為もあろう。この世界が続くわけがない、という諦念というか予感というか、その感覚のためでもあろう。

そこを見据えて転換する心をもつことこそがすなわち「禅」が提示したわかりやすいすばらしさである。

今が永遠である。

今しかない。

今ここ。

すなわち個はすべてである。

全ては個である、あるいは個はすべての一部である。

 

なんというかそういうような感覚を、納得は別にして知ることは、悪くはない体験である。

もちろん「そんなわけあるかいや」という感想だってあるだろう。

 

それもまたよし。

そういう感覚もふくめて「世界」。

そういう感覚をふくめて「今」。

 

そういう感覚を含めて「永遠の全」。

 

という感じでありましょうかな。

(永遠。。。とつぶやくだけでちょっといいですね←どこがや!!(笑))

 

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自分の歌を歌いたい。

昨日は体重を測らず。祝日の中日、東京へ引っ越し準備がてら泊りで滞在したわけであるが、なんというか、外食三昧の2日でもあったのだ。

歩数はそれでも12000歩ほどあったのだが、感覚的には今の身体が必要とするカロリーをだいぶオーバーして摂取した気がするので、体重計に乗るのが怖い。

これはまあいわゆる勉強せずにテストを受けたときに結果を見たくない、という感覚に近いかもしれない。もちろんどこかで結果を見ければいけないのだが。

さて、この世に生まれた意味はあるのか、と問うてしまう人間とは因果なものだ。多分意味も理由もないのだが、ないというところにほのかな意味がある気もする。

だれかに「あなたのこの生は意味あるものだ」と言ってほしかったり、言ってくれる存在を必死で想定・設定しようとしたり。今のところ人気があるのは「自然の摂理」としての人間的な意識ではない意識に支配された「神」であったり、あるいは自身を客観的に見る第三者的自身であったり、あるいは「エゴ」であったりするようだ。

たぶんこころのそこでは「意味がない」とわかっている。だが一方であまりにそれを直截に凝視しつづけると、「精神が持たない」という予感もあったりする。だから「今生」といったり、「輪廻転生」「集合的無意識」といったり、「アカシヤ年代記」といったりする。

勿論「死後の世界」があるかどうかは「死なねばわからない」。完全にそうである。つまりは「永遠の解けるわけがない疑問」を抱いて生き続けることが、分かってはいても生を続けやすくなる構図である、という智慧があり、そのことをなかば強制的に知らしめる装置が「宗教」であったり、あるいは「宗教」の構図性が鼻について耐えられない向きに向けて「哲学」や「科学教」が自然発生的に「発明」されたのであろう。

そして「俗事」、「娑婆の出来事」に乗っかって忙殺され続けてみれば、あっというまに「生」は終わる。カゲロウの一日の生を人は優越感をもって憐れむだろうが、仮に数千年の生命を平均とする生命体が人の生をみるのなら、同じく儚く思うであろう。

一夜とて 神にしみれば 永遠と しることぞなき カゲロウの生

そんななかで、ではどのように過ごせばいいのか。比較は地獄とわかってはいるが、今よりも苛酷ないわば「隷属の生」を「世間」から押し付けられて抑圧を明確に自覚していた明治同年生まれの2人の歌人はそれぞれこう詠んだ。

劫初より作りいとなむ殿堂にわれも黄金の釘一つ打つ

与謝野晶子 大正11年9月 歌集「草の夢」巻頭歌

よき歌の一つを欲しくわがいのち長くもがなとこの頃ぞ祈る

片山廣子 歌集「野に住みて」昭和29年(1954年)75歳時刊

P.197  清水麻利子 片山廣子短歌研究 2019 株式会社KADOKAWA より孫引き

 

一人は生を生々しく歌に練り込み表現した。もう一人も同じく生々しい思いを、しかし生来自身に与えられた気質でもって表現した。一方より長生きした他方は、「人生の困難」に出合い、その表現方法の肌触りをすこし変えた気配もあるが、込められた熱量はお互いに明確に感じ合っていたのであろう。

なぜに歌うのか。答えはなくともいいのだが、「歌いたい」。

ここになにかヒントが隠れている気がする。

(私も歌いたいと思います。自身の歌を。。。)

 

 

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小野小町と片山廣子。

明日の引っ越しの準備。天気がイマイチのようだが仕方がない。

昨日は新勤務先への挨拶。noteは優雅に新幹線の中で、と思ったが、思いのほか環境がイマイチで疲れた。気温があまり上がらなかったからか、冷房があまり効いておらず、若干酔った感じもあった。やはり移動よりは落ち着いたカフェなどで書くのがいいのかもしれない。

通常勤務だと今は昼食を食べない。大体水を1リットルくらい飲んでフリスクを食べながらトレーニング、というのが最近のスタイルであった。勤務が安定していればそういう生活となるのだが、最近は引っ越し準備やらなんやらでルーティン通りに動けない。昨日は和光のエビフリャー弁当630円にカキフライ200円x2を奮発して1000円ちょっと。まあ、列車移動の時くらい、と思ってのことだが、今朝の体重はてきめんに64.8kg、体脂肪率13.2%となった。あまり気にしすぎてはいけないが、なんとなくこの数値をみるとどんよりする。

新しい生活でも、うまくトレーニングを取り入れないといけない。昨日も1万歩は歩いているのだが、やはり体重は増えていたのだ。

さて、最近はずっと片山廣子片山廣子と騒いでいるのだが、なぜなのかというとやはり彼女が希求したと思われるアイルランドの歴史に息づくファンタジーの所為だろう。昔から翻訳時にはダンセイニからくる団精二名義も使用している荒俣宏氏が好きなのだが、ハヤカワファンタジー文庫の初期のものでダンセイニの「ペガーナの神々」がある(こちらは逆に荒俣宏名義での翻訳である。確かにダンセイニを団精二名義で翻訳しては混乱するだろう)。

私が片山廣子を知ったのは、松村みね子名で翻訳出版された「かなしき女王」沖積舎版を読んでからだ。とにかくその香気あふれる文章にノックアウトされた。なんと大正期の翻訳としり、二度ノックアウトされた。微塵も古さを感じない。私は英語の本を人生で1冊も読破したことがないが(笑)、多分この香気は原作のすばらしさもさることながら、翻訳者の資質も大いに影響しているだろう、と思った。で、翻訳者について調べていて行き当たったのが片山廣子である。

私は私の嗜好(絵の傾向や好きな物語の傾向)が近い人と出会うと、なんというかばらばらになった一族と出会ったような感じがして、嬉しくてしかたがなくなる。外国で日本人と出会った時の気持ちとすこし似ている。今は結構メジャーな趣味と言えるかもしれないが、ファンタジー好きは子供のころ周りにほとんどいなかった。

今考えると、一人ですきなものをチェリッシュしながらいることは、卵を抱く親鳥の状況にそれこそ似ている感じで、一人で泉を深く掘る感じもして悪くはない。生半可な感動を人と分かちあうより、一人で何度も何度も反芻することで、より深い味わいが得られるとも今となっては思う。だが当時は寂しかったのだ。

なので、とにかく好きで訳しているとしか思えない松村さんこと片山廣子のことが、気になってしかたがなかったのだ。

よろこびかのぞみか我にふと来る翡翠の羽のかろきはばたき
わが指に小さく光る青き石見つつも遠きわたつみを恋ふ
我が世にもつくづくあきぬ海賊の船など来たれ胸さわがしに

第一歌集「翡翠」より

待つといふ一つのことを教へられわれ髪しろき老に入るなり
動物は孤食すと聞くなり年ながくひとり住みつつ一人ものを食へり
わが側に人ゐるならねどゐるやうに一つのりんご卓の上に置く

第二歌集「野に住みて」より

清水麻利子氏の「片山廣子短歌研究」で挙げられている廣子の代表歌各3首である。歌集翡翠(かわせみ)は、1916年、大正5年の刊である。年表では廣子38歳、このころ鈴木大拙夫人ベアトリス(廣子と同年生まれ、因みにダンセイニも廣子と同年に生まれ、同年に亡くなっている)の指導でアイルランド文学はじめ翻訳に取り組んだ頃とある。

亞苦陀の筆名でのちに廣子と軽井沢で親交を結ぶ芥川龍之介が「新思潮」へ歌評を書いている。一般には心の内を吐露する際浪漫の色付けの濃い初期短歌より、自然な心の内を詠む後期短歌を良しとする評価もあるのかと思うが、個人的にはけれん味ある例えば「海賊」の短歌などは素晴らしく大好きである。けれんとははったりのことであろうが、はったりのどこがいけないのだろうか。

なんというか、時代としては女性として働く道が「教師くらいしかない」時代であり、良家の子女として結婚して「夫人」と呼ばれる道しかほとんどなかった時代のひとである。一方でその流れに抵抗する与謝野晶子やら白蓮やらがごく身近にいて、廣子自身の複雑な思いを感じる。そんな後期歌集もまた、なんとも味わいがある。自身の老いへの気持ちを、その容色故に東北から女官として宮廷に召されつつ、容色が衰えたことで、故郷に何も持たずにいわば自身を消すために「戻る」道で餓死したともいう小野小町の想いの中に凝視している。

容色が衰えたらお払い箱なのかっ

そんな怒りを感じるのは私だけであろうか。

花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに

我が身を悼む。我が花を、花の色を悼む。

(色、とは、花の色、とはなんなのでしょうか。。。)

 

 

 

シバの女王とソロモン。

今朝の体重63.1kg、そして体脂肪はなんと13.7%!これはどうしたことか。

体重は減り気味だ。だが、体脂肪は昨晩帰宅時で10.1%だったのが、これはいかに!!

とがっかりしたが、なんとなく力がみなぎらない感じ、気が抜けた感じがあり、その体感と体脂肪率は連動している感じがある。

これはなんだろうか。

ただ季節の変わり目、冬から夏へは熱くて調子が悪くなるので、その逆で暑さが和らいで楽な分気が抜けているのかもしれない。

昨晩は24時間ジムでこれも今一つパワーが出ない感じの中、無理せずルーティンをこなした。18kgのダンベルフライが、結構重く感じたのを覚えている。

まあ、気力に波がある、ということだろうか。

さて、

芥川龍之介のことは今まであまり関心がなかったのだが、明治期のいわゆる文豪と言われる人たちは、実はそのころのいわゆる欧米文化に非常に関心があったということを、片山廣子評伝を読む中で気づいた。

芥川龍之介は東大文学部で欧米文学を論じ、森鴎外はドイツ他に外遊し、夏目漱石も旧制一高の英語教師であったことは昨日の本稿でもすこし触れた。

新聞記者あがりの菊池寛は先輩アイルランド文学愛好家の片山廣子と、初見時に10年来の友のようにアイルランド文学について語り合ったという。ロード・ダンセイニ(片山はダンセニイ、と呼んだが)は、極北の古い時代の作家かとイメージしていたが、なんと片山廣子と同年生まれ、同年没であるという。

私は系統だって文学史を学んでいないので、そのあたりがイメージでしかない。文学や美術がどのような流れでここに至っているのか、ということは、知っていて面白いものだなあ、などと最近は感じているのだ。

そうなると、「文豪」などというと妙に古臭いイメージもあるのだが、結局若い時分に彼らが夢憧れてその結果としてその文芸がある、という考えてみれば当たり前の事実に思い至る。

また芥川龍之介、国語の教科書でその姿を見、神経を病んで自殺した、という経歴だけをみるといわゆる近寄りがたい狷介な人格であったのか、などと思うのだが、とてつもない澄んだ目をして、長いまつげをもち、こんな親切な人をみたことがない、という人柄であったようなのだ。そして直截ながらなんとも人にうまく甘えられる面も持っていたという。

そういう人物像を知れば、その作品もまた読みたくなる。

過去作で爆発的に知られると、その後の作品ではやはりなかなか苦労することもあるだろう。三島由紀夫でもそのことを少し感じた。特に小説家は。いわゆる評論や独自の世界を紡いだ澁澤龍彦あたりには、後段になればより面白い、という趣はあるのだが。

片山廣子は162センチと、明治生まれの女性としては相当高い感じがする。年若い少女の評では、色白く、額から眉にかけてモナリザのようだ、ともいう。

写真嫌いでその姿は数枚の写真でしか接することはできないが、シバの女王とソロモンにお互いをなぞらえたという龍之介と廣子の、ひそやかな自負もさもありなん、と思うところである。

芥川龍之介が気になってきました)