夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

ものごとの、感触。

高校卒業時は、今後どうして生きていくか、ということに皆さんと同じく悩んだことを思いだす。望んではいけない方向として、漫画家、小説家、画家(というより美術教師、兼日曜画家)、イラストレーター、絵本作家、というものがあった。

 

すべからく、才能が必要で、できれば20代早々で才能の開花、代表作となるべき作品の上梓と世間の承認、が必要だろう、というのが合わせて思っていたことだ。

 

画家、というが絵の勉強をしたことはない。マンガを描いてはみたものの、人物以外はどうやら描きたくないようだ(特に背景)。そして正直、画力に問題がある。

 

ストーリーテリングはどうか。試しに書いてみたSF風の小説は未完であった。

うーん、難しい。

 

小説を書くには取材と熱意が必要だろう、と思っていた。書きたい、題材が必要だろうと思っていた。それがあまりない。

うーん。。。

そしていま、ここに居る。

 

どれだけ意欲が溢れているにせよ、胸の奥で何か疼いているにせよ、ものごとには具体的な始まりが必要なのだ。

P.90 村上春樹 騎士団長殺し 新潮文庫版 1部上巻

 

そう、若い時に書けなかったが、その時は予感めいたものがあった。純粋に創作したいわけではない。生きていく手段として、自分が好きなもの、好きなことでなにかを生み出そうとしている。

 

そしてそれは、愉しくない。

無心に抑えきれず出てくる表現。絵にしても、文書にしても。今でいえばゾーンに入って出てくる創造物。

 

それがあってこそ、初めて人に伝わるものとなる。

それがない、今はそれを手段として、よすがとするべきではない。

それが結論だったようだ。自身による、感触。

 

主人公と自分をうまくシンクロできない小説を、私は読みきることができません。

上村祐子 文庫版 イッツ・オンリー・トーク(絲山秋子) 解説p.182

 

すくなくとも、小説とはそういうものだ。もし自身で書くとすれば、もちろん小説の主人公と自分はシンクロしているはずだ。書いている私が、作中の”私”と区別がつかなくならねばならない。私が彼(あるいは彼女、あるいはこれ)であり、彼が私である、という。

そう思っていた。

 

面白いものに理由があると考えていることが、そもそも面白くないものしか作れない理由だ。

森博嗣 「思考」を育てる100の講義 2013 大和書房 P.53

 

面白いものを、作ろうとすることは、まずは全く、クリエイティブではない。そして、しんどい行為だ。作業である。楽しくない。

だが、面白いものしか売れない、面白くなくてはならない。そう普通は思うものだろう。だが、違うのだ。

森氏は続けておっしゃる。

ただ、無難な「受けそうな」媚びた作品になるだけだ。むしろ、理由がなければ新しいものになる、という手法の方が当たる理由がありそうだ。

同上

 

理由はいらない、というよりはむしろ害にしかならない。理由のない、新しさこそ、新しさだけが、受け取り手にそれとわかり、場合によっては愛され、あるいは反発される。

 

「媚」により無理やり創作されたものは、その遡上に乗ることはない。エンタメを楽しむ時間は有限なのだ。貴重な人生の一瞬なのだ。それがたとえ消費の時間であろうとも。

そんなことを、最近考えている。

 

(作者がたのしくてしょうがなくて(無理やり生み出してはいても)というものや、楽しんではいなくとも新しさを提供するものは、やはり味わってみるとわかる気がします)

「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」を読んだ。

自閉症の僕が飛び跳ねる理由」を読んだ。

 

1991年生まれの東田直樹氏が13歳の時に書いた本だ。

現在はPCも使えるという氏だが、この時は日本語文字盤で1字1字示して作られた本である。

読んで、大きな、ショックを受けた。

自閉症への今までの思い込みが、ひっくり返った。

 


どこにそれほどショックを受けたのか。

発語がなく、語り掛けて反応もなく、意味なく飛び跳ねている姿から、

この子は知能が遅れている、と思っていたのだが、

 


知能が遅れていないのだ。外部のことを理解し、いわゆる”普通の”13歳、あるいはそれ以上の理解と判断を、その内部で行っている、ということに、だ。

 

だが、彼が内部でそのように理解していることは、外見からは全くわからない。だが彼は、”じっとして、といわれ、じっとしようとしても、なぜか身体が動いてしまう、全く申し訳ない”と思っている。

 

申し訳ない、と思っているのだ。だが、それは外部からは全くわからない。

 

自分の、手や足や、視覚や聴覚が、全くコントロールできない。聴覚は私は自分の耳で聞こえるものはそのまま普通に聞こえるものだ、と思っていたが、そうではない、聞き取りたいものをそうでないものを、脳がコントロールしているのだ。雑踏で相手が話す声が、注意すれば聞き取れる。だが、彼にはすべてが同じ音量で聞こえるのだ。雑踏でなくとも、エアコンの音と相手の声が同時に同じ様に聞こえる。

 

だが、彼は、自分には同じように聞こえる、いわゆる”健常者”には違って聞こえる、という違いを理解して、その差を伝えるのだ。わかりやすく。彼は違いを理解している、だが介護者は、違いを理解していないことが多いのではないか。あるいは”頭で理解はしていても”、エアコンの音がでかすぎて、指示の声が聞こえにくい、という彼の事象にぴんと来てはいない。

 

なので”なぜ指示通りできないの”となる。

 

いや、聞こえてないのだ、エアコンの音と混ざって。

 


がっかりさせてすみません。ほっておいてほしいわけではない、かまってほしいのです。

 


その想いは、生まれてからずっと、一度も理解されないままの人が、ほとんどであったのだろう。伝えられないから。だが、伝えられないだけで、心では思っている。ヘレン・ケラーは特殊な例ではなかったのだ。

 

自分のことを思いだした。僕は小学校4年位で、ほぼ今と同じようなメンタリティを獲得していた気がする。もちろん身体の発達はまだ。社会性もまだまだ。だが、その中にある気持ちは、いまの気持ちとほぼ同じである。あとの機能は、個別で、ただ、SPECとして伸ばしただけだ。

 

だが、外からは、先生からは、子供として扱われる。いや、子供だけど、中身はたぶん大人と変わらない。そう、感じていたことを思いだす。

多分、女性の場合、もっと早いだろう。下手をすれば幼稚園児で、ほぼメンタルは完成するのではないだろうか。

それと、多分、同じなのだ。だが、身体のコントロールが、非常に困難なので、外部の人はいつまでもわからない。

 

このことは、正直、まったく予想していなかった。

 


わかっていない、と思っていたのだ。

まだよく消化できてはいない。だが、いままでの”知能指数”計測が、手や口による反応を基にしているのは、根本的に間違っているのではないだろうか。

 

手や口での表現は不可能だが、精神面での発達、いわゆる真の”知能”の面では、遅れるどころか同世代よりも進んでいる、そのような”自閉症”の人々が、どのように社会で認識され、生きてゆくのかは、もっと違った形が必要なのかも、と思っている。

(思い込み、というのは、さまざまなところにありますね。そして、気づきにくい)

 

 

エゴと、自己収縮。

何度か書いた気がするが、自分自身でもよく忘れるので、備忘がてら。

 

将らず 迎えず 応じて而して蔵めず  荘子

 

字は少し古風ではあるが、一度読むと読めなくはない。

将軍、とは軍を戦争の為に率いる、すなわち王からすれば軍を戦地に送ることを行う人のことだ。なので将軍の将を”おくる”と読む。

 

而して、ということばは、日常生活では使わない言葉である。しかし”しかして”とつぶやけば、だいたいの意味はぼんやりと立ち上ってくる。まあ、”BUT"の意味であろう。

蔵、の文字を使って”おさめず”と読めば、いかにも”貯蔵する”という意味がこちらもじわりと脳みそにしみ込んでくる気がする。

 

今の時代によく使う漢字になおせば、読みやすくはなるが、本来の意味が希釈されてしまう感じがある。なので、敢えてこの漢字ベースで、思いだすことを個人的にはこだわっている。

 

勿論、脳内でつぶやくときは、漢字と共に、というわけではないが。

 

 

話が脱線するが、私は子供のころ、運動が苦手で同じ本ばかりを読み続けたおかげで、漢字の読みは得意であった。だが、書けない。

 

漢字書き取りテスト、はあまりできなかった。

 

国語という教科、すなわち現代文の部分であるが、これは勉強しなくてもいい科目、としてありがたく思っていた。しかしどうやら、漢字はやらないといけないな。

ということで、通学時間往復4時間であった私は、電車の中で漢字を覚える必要があった。

だが基本的には、漢字は書きまくらなければ、覚えられない。狂ったように書きなぐり、できれば2B位の鉛筆でノート全面を真っ黒にする。そうするとその”視覚感覚”で”やってやった感”が沸き起こり、”こんだけやったらそら覚えるわな”という感覚を持って満足する。

 

というのが、本当はいいのだが。電車でそれをやれば(やれなくは、ないが)まあ、気持ち悪い風景になってしまうだろう。

 

ということで、脳内、というか脳みそに漢字を刻む的な画像を思い浮かべる、というテクニックを編み出した。一筆ずつ、脳内にバーチャルで、書く。

すこし時間と精神力を使うのだが、これはなかなか悪くなくて、漢字はだいたい、書けるようになった。完璧では、ないのだが。

荘子のこの言葉を、書き出してみて、そんなことを思いだした。

この言葉、大体は皆さん意味がわかると思うのだが、一応解説してみる。

”自己収縮”として、こころは様々なゆらぎを自然と生む。悩ましい出来事に遭遇すれば、なやましい”自己収縮”がこころに溜まる。

 

ケン・ウィルバーはその著書、”存在することのシンプルな感覚”の中で、”「目撃者」に落ち着く”ということを述べている(P.37)。

自己収縮を感じる。「目撃者」は自己収縮を感じているものである。したがって「目撃者」は自己収縮ではない。あなたは、「目撃者」である。

開け、自由、空性、解放のなかに安らぐ。自己収縮を感じる。ありのままにまかせよ(Let it be)。

 

言葉や名前には、長く世間で使われていると、決まった意味、ときにはネガティブなイメージなどが“燻重”してくる。池田晶子さんは、これを”ドクサ”といった。そしてドクサには意識的であれ、気を付けよ、と述べられた。

 

ケン・ウィルバーは、自らの考えが”スピリチュアル”である、といわれるのを喜ばなかった。語本来の意味であれば、それほどの嫌悪感を示さなかったかもしれない。だが、その”スピリチュアル”という語を聞いたときに感じる、語に関係するさまざまなイメージは、どちらかというとともすれば”うさんくささ”につながるきらいがある。

 

日本でも、そうかもしれない。

 

いずれにせよ、スピリチュアルであろうがなかろうが、人間が生きる上で”エゴ”という働きはあるだろう。自己収縮=エゴ、といってもいいかもしれない。

 

そして、自己収縮の存在は否定せずとも、それは自らの一部ではない、単なる例えば“暑い”、”寒い”と同じ様な”嫌だ”という自分のそとの事象であることに、意識的であれ、と言ったのだと、理解している。

 

生きていると、”嫌だ”という思いが起き、そしてその思いをつい、自らに取りこみ、嫌だというものを含んだ自分、と言う風に思うものだ。なぜだろうか。多分これが”エゴ”の存在理由だと思う。

 

だが違うぞ、と。

あくまで、自分の外にあるぞ、と。

そう、ケンは言っているのである。

そして多分、ケンと同じことを、荘子も言っているのである。

まあ、どちらかというと、荘子からケンが学んだのかもしれないが。

 


荘子もまた、”嫌な思い”を将来に送るな。過去から送られてきても受け取るな、来れば理解して対応しても、それを気持ちに残すな、と言っている。

 

そしてそれを私は実践しようとしているのだが、

 


総じて快調、である。

(気持ちが楽に、なりますね)

映画「三島由紀夫vs東大全共闘50年目の真実」を見た。

映画「三島由紀夫vs東大全共闘50年目の真実」を見終わった。

 

映画の中で、「オール日本ミスターダンディはだれか?」という記事が紹介される。平凡パンチの記事であるようだ。時期は明確ではないが、これもたぶんこの論争(はたして”争う”の字が適切かどうかはあるのだが)の時期、1968年(昭和43年)頃ではないだろうか。

 

その時代の空気を、感じることができる。順位を見てみると、

1位三島、2位三船敏郎、3位伊丹十三、4位石原慎太郎、5位加山雄三、6位石原裕次郎、7位西郷輝彦、8位長嶋茂雄、9位市川染五郎、10位北大路欣也、と来る。

 

この時代の平凡パンチ読者11万票余りの結果である。50年以上前の空気であるので推測するしかないが、印象深いのは、映画俳優を押しのけて(映画も撮ってはいたが)三島が1位であることだ。まだテレビの黎明期、いまは多分こうした投票自体があまり成立しないかもしれない。

 

ダンディ、である。これは平凡パンチの読者層(勝手な推測だが、多分この論争に関心のある層と被るのだろう。下は16歳くらい、上は30歳未満であるだろう)が、自らがこうありたい、と憧れるどちらかというと年上の男性のことであると感じられる。

翻って、自分にとっての”ダンディ”とは誰だろうか。もちろん時代が違っているが、憧れる男性、というのはそもそもあまりいないようだ。ロールモデルが、少ないのだろうか。

 

青少年期は澁澤龍彦(最近古本も買いましたが)、銀幕では高倉健、芸能界では吉川晃司(ファンなんです)、位だろうか。結構この選択はすでにマイナー(吉川はまあ別にして)であろう。作家と映画俳優がいるあたり、考えてみると我がメンタリティは結構この時代の平凡パンチ読者と地続きなのかもしれない。

11位以下も興味深いので見てみる。知らない名前も出てくる。

 

11位三橋達也、12位福沢幸雄(この方はわからない)、13位黒沢年男、14位大橋巨泉、15位黛敏郎、16位藤本義一、17位中山仁、18位野坂昭如、19位石坂浩二、20位生沢徹、21位宇津井健、22位でやっと高倉健である。

 

雑誌読者へのアンケートであり、作家は当然雑誌に寄稿するわけだから、あるいは三島の一位はありえなくはないのかもしれない。だが一位である。どれほど三島がこの時代の寵児であったのかが、わかる。当時もっとも注目されていた男性、といえるのだろう。投票11万票中、2万票も集めている。2位の三船敏郎も1万9千集めているが、3位は1万を切って約8千票、断トツ、と言えるだろう。

 

三島がなぜ自決しかのか、を考えた。結論が出てはいない。だが、内田樹氏が劇中で語る言葉を聞いて、すこしわかる気がした。

 

その章(映画だが部分部分でタイトルが示されており、ドキュメンタリー風の構成である)のタイトルは、「生き残った者の苦悩」である。1925年生まれの三島は、終戦1945年頃で20歳。三島自身は戦争に行ってはいないが、同世代で戦争に行ったものも多い。同世代のものは戦争に巻き込まれ、”行けば即ち死”。その覚悟であったろう。三島にとって、死はものすごく身近なものであり、同世代にとっては、”強制であるが故に、矜持から自ら選んだ形と敢えてしたいもの”が死であったのでは、ないだろうか。

 

「国運と個人的な運命が完全にシンクロしていた」のが当時のティーンエイジャーであった、と内田氏は言う。それが敗戦で、「国は国、個人は個人」となり「国はアメリカの属国のようなもの」になってしまった。

 

そしてもう一度国運と個人の運命を一つとしたい、という欠落感がこの世代には濃い、と読み解かれている。なるほど、このあたりが三島の考えと行動を考えた時の、理由になりうるかもしれない、と思った。

 

勿論、本人がいない以上、私は、ずっと考えるしかないだろう。だがその行動で、大きな疑問を残すこと、それを三島は予期していた、意図していた、と感じるのである。

 

芥川龍之介川端康成も自殺した。太宰治も、自殺した。状況から見たいろいろな解釈はあるのだが、本当に彼らがどのように考えていたのか、はもちろん本人のみが、抱えて逝ったものである。

 

池田晶子さんは言った。”さて死んだのはだれなのか”。西欧の人々はいつも思い出さされていた。半ば強制的に。”死を想え”と。

 

三島由紀夫の死もまた、その問いを、思い出させるものである。

 

結尾の年月日が、自決の当日となっており、その日時に敢えて三島はその原稿が出版社に届くように、と図らったともいう「豊穣の海」最終巻「天人五衰」の最後の部分から引く。

そのほかには何一つ音とてなく、寂寞を極めてゐる。この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまつたと本多は思つた。
庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしてゐる。………

ここで記される”夏の日”、それはあるいは三島にとっての”終戦の日”のことであるのかもしれない。

(三島の死のあとの、奥さんの態度もまた、凄いものだとおもいます。三島を良く、理解されていたのだ、と思います)

三島由紀夫について。

三島由紀夫について。


皆さんは三島由紀夫という人をどうとらえていらっしゃるだろうか。


告白すると、私は怖いもの見たさで私小説をのぞき見することがあるが、どちらかというと自身の性格は”暴露型”ではなく、"秘匿型”だと感じている。


硬い言い方をしたが、まあいわゆる”恥ずかしがり”だ。特に性的なことは、一般の会話には余り入れたくない感じである。もちろん個人的な会話ならいいのだろうが、それでもあまり言葉にはしたくない。


青少年期には、いわゆる”性的なことをさらけだしてこそ仲間”みたいな雰囲気がある場合があるだろうが、ああいうのはとっても苦手だ。ワンスアポンアタイムインアメリカ、であるような、お互いの性欲を見せ合うような。そういうのが子供の頃から嫌だった。


あくまで私的なこと。親密ではない他人には言いたくない。
いまでもそう思う。


皆さんはどうだろうか。例えば三島の”仮面の告白”。フィクションであろうが私小説であれば、”あれが三島の内面だ”と思っている(いた)人は多かろう。恥ずかしいことを世間に言う男こそが“漢らしい”。
そう思う私もいる。


堂々と、自分ならかくしておきたい私的な性的なことを告白する。これが私小説であれば、それを書くのは私には困難だろう。すごく魅惑的でもあるが。


そんな気持ちのはざまにある小説を、世間に提示してみせた男として、私は三島をどちらかというと”凄い奴”的に認識していた。

 

 

作品は読破している、とは言えない、だが篠山紀信の撮影した”三島由紀夫の家”は所有している。


当然に1970年の割腹自殺後の撮影だ。主はもはや、居ないのだが。
竣工は1959年。三島は1925年の生まれなので、34歳の時に建てている。
一言、素晴らしい、邸宅である。

 

本書は1994年8月に未亡人の瑤子夫人に許諾されたが、本書が発行された1995年10月には夫人は58歳で亡くなっている。


三島は自身の死後この館を三島記念館としてほしいとの希望があったようだが、瑤子夫人は亡くなるまで住み続けたという。


この本は、生前の三島が邸宅内で過ごす姿や、書斎の様子、本棚までさまざまな情報に満ちている。生前の写真はモノクロが多く、95年時には当然カラーであるので、その対比も面白い。

 

 

いま、アマゾンプライムで、2020年の映画、「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」を見ている。まだ、途中だが。


1968年の撮影である。自決の2年前、43歳の三島が実際に動く姿がある。私は三島が動いているのを、その声を、初めて聞いた。


1967年のインタビューで、三島は自身の身長を164センチ、体重50キロ位、と答えているようだ。映像では黒いポロシャツ姿であるが、上腕部の筋肉は切れている。体脂肪的には10%は間違いなく切っているだろう。


壇上であるが故、意識している面もあるだろうが、三島は上腕部を伸ばすしぐさが多い。タバコを吸うときも、上腕部には、力が自然と入っている。


ああ、彼らは論争をしているのであった。私はいわゆるこの時代の空気や、世界情勢についての知識がほとんど無い。東大生である役者の芥氏(芸名であるが)の言うことが、正直よくわからない。


これほど、わからないのか。ショックを受けた。もう少し、わかるのではないかと思っていたのだが。


こうした、思想を以て、革命を希求する人たちが、いたわけだ。
三島の自決についても、理由はいろいろ言われているのだろうが、私の中では明確な答えは出ていない。


だが、今感じているところでは、三島は自衛隊が決起しないことに失望して自決したのではない、と思っている。決起はほぼ、ないと見ていたのではないか。だが、自身の死が、それも世間が大きく衝撃を受けるであろう死に方での死を、世間に提示することを、予定通り実施したのだ、と思っている。


三島の首は大切に扱われたとのことだが、のちに写真誌フライデーの創刊号に記載され、たぶん瑤子夫人のクレームで回収される、という形だが世間に示された。
それを見たとき、痛みや苦しみがほぼ示されていない、と感じた。


三島は切腹の作法も含め、全てを予定通り、自身の小説とおなじ次元で、世間に示し表現する、ということを行ったのだろうと、思っている。
(それは自身の死を伴う、一つの考え、一つの生、生き方の表現、であったのかもしれません)

 

三島由紀夫の家

 

文化について。

文化について。

 

一流の街なら、美術館があり博物館があり、また大学がある。それらは金を稼ぐために存在するのではない。むしろ税金を使い、無駄なことをしている。その無駄こそが、その街の財産ではないか。そういった無駄こそが、街の誇りではないか。「私の街には、こんな無駄があります」と自慢ができる。それが、健全な社会だ、と僕は考える。

 

 

森博嗣 つんつんブラザーズ P.163 講談社文庫

 


森さんのエッセイでこの箇所を見つけて、妙に気に入ってコピーしてノートに貼っている。何度かこの日記にも登場させたかもしれない。
なぜに気に入ったのか。いまはそうではないが、将来こんな街に住みたいものだ、と思うからである。


医療や福祉はまったなし。そこに金を使い、余ったら文化に使うのがあたりまえ。
そうなのだ、と思う。そちらと比べて、文化を行いましょう、とは思っていても言えないだろう。


まずはそちらを。そして文化は、そちらが良い感じになってから、やっとこさまあ、こっそりとやってもいい、という感じになるのだろう。


なので、”夢”なのだ。いわば”坂の上の雲”。


だが、維持は困難であるとはいえ、この地には大学も、博物館も、美術館もある。そこに働く人々もいる。条件はもう、よくはないかもしれないが。


ただ、金の問題は、背に腹は代えられない。医療や安全のために金を回すことには、誰も反対できないだろう。今の日本はそうなっている。こうなるまえに、もっと早く将来像を精確に描き、備えておくべきだった。


上記の引用に続いて、森さんはこうおっしゃっている。だが結びではこうおっしゃる。
しかし、人は必ずこの「文化」を復興するだろう。神がいなくなった現代において、それは神殿のような社会の人々のシンボルであるからだ。


私には、神はいない。多くの、日本人の皆さんもそうだろう。


だが、神という名であからさまに示される”人格神”ではないところのもの、例えば”正義”、例えば”真善美”のようなもの、をどこかで信じ、どこかで希ってはいないだろうか。


私は希っている。


その”希うもの”が、森さんがおっしゃる”文化”の神殿から、こっそりと、ひそやかに、こちらを覗いているような、気がしている。

正義と品格。

内田樹 「サル化する社会」を読んでいる。
P.90より引く。

「品位ある世界」(the decent society)とは、「その制度が人びとに屈辱を与えない社会である」(13頁)と著者は定義する。キーワードは「屈辱」である。(中略)ある制度が人にとって屈辱的であるかそうでないかを決定するのは「コンテンツ」ではなく「マナー」だからだ。

 


 例えば、社会福祉社会福祉制度がうまく働かない理由の一つは、福祉を実施する側が受給資格を与えるために構造的に「屈辱的なテスト」を課す傾向があるからである。
現在の日本では、生活保護受給の為、両親や親戚に援助可否を確認することが通常必要であり、DV・虐待等の問題がある場合などや、とにかく自身の現状を知られたくない、という場合は、生活保護はとにかく受けたくない、という判断になる場合がある。また通院等の特段の理由がない場合は車の所有は認められていないと認識している。


もちろん、確認で援助が可能である場合もあるだろうが、その率は大変低いようだ。水際作戦、ということで、安易な受給を防ぐ、ということになっているとの理解だ。


ここへの対策は大変難しい。というか一律で決めきれないという感じがする。


この内田さんの一文はアヴィシャイ・マルガリートの「品位ある社会 〈正義の理論〉から〈尊重の物語〉へ」(風行社 2017年)を論じたものだ。内田さんが要約する作者の対策・考え方は以下のようである。

 

「品位ある社会」といのは「品位ある社会とはどういうものか、どのようにすれば実現できるのか」について熟考する人々をある程度の比率で含む社会だ、ということである。(中略)「屈辱を与えない」という「何かが起きない」事況のことである。品位は「この社会には品位がある」というかたちで実定的に実感されるものではなく、「この社会には品位がない」という欠性的な仕方で実感されるものである。
P.91-92 サル化する社会 内田樹

 


全ての人に品位を求められるものではない。そもそも品位とは一定のものでは無いし、人それぞれであったりする。品位という形で人がそれを実現したい、と思わないケースもある。それでもそれはたぶん“やさしさ”のようなものにつながり、次第に万人が”どうもそっちの方がいいようだ”と感じるものを志向すること、であると考える。


水際作戦をやる役所の方々は、別にしたくてしているのではないだろう。そういう上司の方針であり、国の方針だ、との意識であろう。だだもれで、だれでもかれでも、認めていては切りがない、というような感覚でのことかと思う。


だがそこで”尊厳”のようなものを手放すことを求めているのだとしたら。やはりそれはちょっとどうか、と私としては考える。


内田さんも”賛成の一票を投じる”とおっしゃるアヴィシャイ・マルガリート氏の考えに、私も賛成したい、と思った。


(品位、ということばは難しいですね。品位を持て、ではなく、品位を持ちたい、ということでしか生まれない、個人的なものであると思います)