夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

2019-10-01から1ヶ月間の記事一覧

執着とはなにか。

執着の反対語はなんであろうか。 ドクサの強い語である。 語に接するだけでも、なんらかの”執着”を自我に感じるほどの パワーのある語である。 今のわたしの気分では、たぶん”手放す”だ。 反対語、というものは、語が別々である、という意味だ。 非二元的に…

死とは何か。

池田晶子さんが、問い続けたこと。例えば、最近よく引用させて頂く、ホーキンズ博士の本、"私"にはこうある。(p.338) 死とは、自己として同一視していたものをなくすことを意味しています。したがって、死にはさまざまな階層があると言えるでしょう。肉体の…

高貴であること、純粋であること。

他者からどのように思われようとも、 無邪気な子供のように純粋に楽しめるなら、なんであれそれをするがいい。 起きることが起きるなら、あるがまま起こさせなさい。 高貴な存在になろうとせず、純粋な存在で在りなさい。 そこに善悪はない。 P.459 ヘルメス…

怒りと妬み。

池田晶子さんの文章がなぜにこれほど好きなのかというと、 例えばこの文章、 誰もが同じようにいい目に会って然る「べきだ」。でもそれは無理だ。才能と努力は、皆違うのだもの。最初にそれを認めない限り、やがて人は、才能や努力それ自体をも妬むようにな…

版画展に行った。

上野の東京都美術館で開催中の第87回日本版画協会版画展に行った。 美術館に行くときは基本やはり企画展が中心で、有名画家のメイン絵画を前に、 ああ、これがあの有名な。。 と仰ぎ見るのも嫌いではない。 私は見るものは主にマンガから来ているので、抽象…

考える狂気。

しかし、この、世の中には自分にはわからないことがある、ということをわかるだけでも、実は十分なのだ。自分にはわからないことがあるということさえわかっていない人は、決して進歩しない。それ以上考えることがないからである。 P.105 睥睨するヘーゲル …

カルトとグノーシス。

グノーシスのことを初めて意識したのは、ヘルマン・ヘッセの”デミアン”を読んだ時であった。 デミアンはヘッセ自身を彷彿させるこの物語の話者、シンクレールに酒場でこう語る。 そしてーいつか読んだことがあるがー放蕩者の生活は神秘主義者になる最上の準…

わたしと”私”。

経験をした、記憶としての私は、そのときのままとしては無い。 今、思い出す私の中にある。 また、今の結果としての将来の私はあるが、 それもまた今思っているものだ。 これは当たり前であるが、そのことはそうだ、と思っていないと、ぼやける。 過去の自分…

全てに注意を払う。

海外に行くことがある。 特に初めての場所。全てが目新しく、きらきらしている。 あるいは、興味深い。 貴重な経験、見落としてなるものか、と感覚は前後左右に触覚を伸ばす。 海外に限らない。新しい場所ではよく起きることだ。 だが、数回行くなら、そこに…