ケン・ウィルバー
言語とはその語を(翻訳も含め)操る人々の生をブーストする道具である。音声の届く範囲は限られていたが、録音技術により大きく拡大し、時間を超えることになった。文字は言語と相対することにより、録音技術のない時代から、思想や思考をこちらも時間を超…
読書をしていて楽しいことは、”芋づられる”ことである。 わたくし結構感激するたちのようで、ある本を読んでいて、 ”ああ、ここでこの本を読んでよかった、というか読んでなかったらどうなっていたのか!我が人生!!” という風にすぐに感極まってしまう(内…
ヴェーダーンタ神秘主義といわれるものがある。 そして鈴木大拙がアプローチした禅。 西田幾多郎は大学の講義で、エックハルトを”キリスト教の禅坊主”と称したという。 この3者(3主義)にわざわざ区別や優劣をつける必要はないだろう。 そこには大書されて…
引き続き鈴木大拙”神秘主義”を読んでいる。 池田晶子さんは自らの著作群を評して、”どこをどう切っても金太郎飴のように同じことを述べている”とおっしゃっていたと記憶する。 これは全く卑下ではない。 高らかで誇らかなる宣言である。 ”いつも真実が私の口…
鈴木大拙「神秘主義」を引き続き拾い読みしている。 東西の叡智、仏陀とエックハルトを比較する、というよりは、 二人が同じ結論に至っているということがわかる。 特にエックハルトはキリスト教の中で異端として扱われるリスクを 賭しての説教であったのだ…
いささか長い引用になるが、ご容赦あれ。 段落は原典と変えさせていただいています。そのほうが僕が読みやすいので。 「目撃者」に落ち着く ケン・ウィルバー 存在することのシンプルな感覚 P.37より引用 自己収縮を感じる。「目撃者」は自己収縮を感じてい…
禅語に父母未生以前、というものがある。 不思議な言葉であるが、わかりやすく気づきを誘う言葉でもあるだろう。 ふつうは思わない。 自分は父母から生まれた。祖先があり、繋がって生まれてくるのが生命だ。 これはいかなる生命、あるいは存在でもあること…
意識とはどう定義すべきであるか。 ユングのいう集団的無意識、というものは、感覚的には超意識的というか、 精神の普段ある領域でのアップデートされる共通的なもの、という印象もあるし、 あるいはいわゆる太古からの動物的記憶、DNAへの記憶(記録)とい…
経験をした、記憶としての私は、そのときのままとしては無い。 今、思い出す私の中にある。 また、今の結果としての将来の私はあるが、 それもまた今思っているものだ。 これは当たり前であるが、そのことはそうだ、と思っていないと、ぼやける。 過去の自分…
を読んでいる。 池田晶子著、94年に雑誌”正論”へ記載された文章を嚆矢とする。 本は読む時期、読む”自分”によって”読め方”が違うという。一読驚異、”ああ、池田さんはあのことをこうおっしゃっていたのか!!” 完全にわかってらっしゃる。そしてそのことを…
存在することのシンプルな感覚作者: ケンウィルバー,Ken Wilber,松永太郎出版社/メーカー: 春秋社発売日: 2005/11メディア: 単行本購入: 2人 クリック: 4回この商品を含むブログ (5件) を見る 引き続きウィルバーから引用する。 世界はなすべきことをなす。…
少し版画をかじっている。 師事する先生がお好きなテーマは”エロスとタナトス”。 西洋での画題で、しゃれこうべと美女、が描かれているのもその一例である。 ”メメントモリ”=死を想え という画題とも連なる。 絵に対するいろいろなアプローチがあると思うが…
肉体が、乗り物である、という言い方がある。 用語は別にして、ウィルバーのいう”目撃者”(全から分離した全の一部で死すときに全に還るもの)が、意識や(か)魂や(か)、あるいはエゴかを通してこの肉体を動かしている、とするのなら、 全てに偏在する全…
閑さや 岩に染み入る 蝉の声 芭蕉が立石寺で詠んだ句である。 閑さを、”しずかさ”と読むか、”しずけさ”と読むかということがあるようだが ここは私の趣味で”しずけさ”とする。まあ、しずかさと読んでもいいだろう。 我が家の前は神社である。中古住宅を10年…
魂。 英語ではSOULとなるのか。 池田晶子さんの没後纏められたアンソロジーが3冊、 タイトルはそれぞれ、 私とはなにか、魂とはなにか、死とはなにか、である(順不同)。 池田さんが大文字で考えられてきた事項であろう。 ケン・ウィルバーによると、魂とは…
”「私探し」というこの言い方が、私は以前からもうひどく気にいらなくて、(後略)” 池田晶子 「魂とは何か」P.21 トランスビュー 2009 池田さんがなぜに「私探し」が気に入らないのか。 上述に続き、理由が書かれている。 ”そんなの、探さなくたって、ここ…
全p.361 禅における言語的意味の問題 井筒俊彦 岩波文庫 一たん文節されて結晶体となった存在は、もしそのものとして固定的、静止的に見られるならば、文節される以前の本源的存在性を露呈するどころか、逆にそれを自己の結晶した形のかげに隠蔽するものであ…