2008-12-01から1ヶ月間の記事一覧
大晦日だ。本年3月に引っ越して、初めての自宅で迎える正月である。 借家人根性丸出しで、社宅の掃除には身が入らなかったのだが、自分の家だと思うと、少しは力の入り方が違うというのも我ながら人間ができていない。とはいえ、築16年の中古住宅であるので…
(覚えメモ)車、新聞。これからの10年で大きくその位置づけが変わるだろう。TV。衰退するだろう。しかし、より面白くなるかも。
考えるとは、個的なものから普遍的なものへと進んでゆく道行き以外ではないのだから、考える限り、人は必ず個を超出することになるからである。たとえその考えの極まるところで、「私は世界である!」と叫んでいる哲学者とて、まさにそういう仕方によって、…
自分の感受性くらい 茨木のり子 ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて 気難しくなってきたのを 友人のせいにはするな しなやかさを失ったのはどちらなのか 苛立つのを 近親のせいにはするな なにもかも下手だったの…
どんなことでもない。生きるとは考えることができる、ということだ。 長田弘 人生はたぶん「今」しかなくて、もっと考えてみると 捕まえられるような「今」なんて物も、実はないのかも 知れません。 川上未映子光、射す。 ああ、季節がまた巡ったのだ。 池田…
さくらふぶきの下を ふららと歩けば 一瞬 名僧のごとくにわかるのです 死こそ常態 生はいとしき蜃気楼と 茨木のり子
この日記のタイトル。悩むな、考えろ!と喝を入れられて、自分なりな”考える”のスタイルはなんであるかいな、と考えて付けてみたものである。自分のキャラは、本質は、どちらかと言うと感じるタイプ、論理的ではない、視覚的、感覚的だと思ってきたし、いま…
新聞は今は読売新聞を購読している。名古屋に住んでいるので、ここでは新聞といえば中日新聞であり、それ以外はほとんど地域のスーパーのチラシが入らないということもあり、安く食料を買えないのは困ったことだが、しかし新聞とは本来別の用途で購買するも…