2016-01-01から1年間の記事一覧
死によって生に亀裂が走るのではなく、生は死を乗せたまま動きつづける。 武藤洋二漠とした憧憬。これこそ物事の始まりではなかろうか。 北杜生命の個性の幅は、常識の幅より広い 武藤洋二
ほぼすべての池田さん単独名義(一部文庫化本は除く)を、池田さんの”魂の発現”、あるいはハリーポッター的に言うのであれば”分霊箱”として所持させていただいている僕であるが、唯一、といっていい不所持の本であったこの本をアマゾンにて古書価にて購入し…
南京、に行った。その都市に関しては、まあこの日の本に在していれば、初めてのときには事前にいろいろ気になった部分はあったのだが、”都市の記憶”が僕個人に対峙するわけではなく、はたまた僕個人がある状況に対して意見を表明する機会もなく、個人と個人…
自由とは、自分に対してのことのみである。他人との関係において”自由”を求めることは本来無理なことである。描くこと、書く事、それらの行為において、他人を意識せねばならないものは本来のそのものではない。・・・のかもしれない。 池田晶子、”無敵のソ…
ミニマム、とはなんだろうか。 生きていると、いろいろくっついてくる。 一人は気楽? いやいや。 食費は足りるか? 栄養は足りるか? 身体によい食生活か? 洗濯せねばね? 洗剤は切れてない?? 臭くないかな? いやはや、いろいろあるものだ。 そんなこと…
十字架か毒人参かは大した違いじゃない。いずれにせよ世間というのは、わからんものが怖いものなのだ。 池田晶子 無敵のソクラテス(完全版) P.148 正しいものが正しすぎると、困る、あるいは邪魔である。正しいものが正しいとわかるからこそ、恐れる。 正…
人によって時間はそれぞれである。フロー、という概念がある。共時性(シンクロニシティ)という考えがある。 インナーボディ、という言葉がある。そして”魂”という言葉も。 歳を取ると一日が早いという。過ごした経験が長いと、それと比べて一日を味わう深…
一日の王、という考え方を読んだ。物事は、物サイドと心サイドとの間での立ち位置の引っ張り合い、という気がしている。 これは”物欲”、”知足”、そして”経験すること”ということが関係している。自らが持っているもの、奇跡的な素晴らしいもの、それは”いま…
グノーシス (講談社選書メチエ)作者: 筒井賢治出版社/メーカー: 講談社発売日: 2004/10/09メディア: 単行本(ソフトカバー)購入: 5人 クリック: 55回この商品を含むブログ (34件) を見るこの本を読んでいる。非常に、わかりやすい。なんとなく知られてはい…
日本人は過去を振り返らない民族である、というコメントを見た。自らの気持ちをのぞいてみると、確かにその気配がある。すこし考えてみよう。 過去を振り返る、とは、過去のあのときあの出来事が、自らであったかもしれない、という感覚があるかどうかが大き…
掃除をした。舌を噛んでケロイド状に、そして尾骶骨におでき。 さて、掃除とは体に関連する服の上にある服のようなものだ。与えられた服なのか、自ら選んだ服なのか。 身体とは、いまの僕の感覚でいけば、”魂の仮の乗り物”。仮だからといって、粗末にすれば…
自分が主語の人生を生きているか。 これはむつかしい。好きでやっていることにも、つい言い訳をしてしまう。相手にどう思われるか。そこのところを気にしている。 それは、それでもいい。 だが、言い訳が言い訳のためのものであってはならないだろう。 言い…
仕事は手段ではない、目的だ。よりよい仕事、よりよい作品のために、さらなる精進を重ねるその人は、自らの内面しか見ていない。あるいは自らの内なる「神」を見ている。仕事は神への捧げものなのだ。 P.78 池田晶子 人間自身 考えることに終わりなく ソクラ…
記憶が定かではないが。 裏をみせ、表も見せて散るもみじ といったような句があったように思う。あるいは表裏の順番が逆であったかもしれない。確か池田晶子さんの著書で、一休禅師の時世の句として紹介があったように思う。出典を確認しなくてはならぬのだ…
ご自身のありかたの一つの表現として、池田さんがおっしゃったこと。これは前にも引用したかもしれないが、ユングが元型論で述べている無意識の構造とは、こうである。集合的無意識とは「こころ」全体の中で、個人的体験に由来するのではなく、したがって個…
”私がわたしにつぶやくのではない。私がつぶやきによぎられるのだ。つぶやきは「絶対」の自己確認であり、無私の私がその場所となる。” 池田晶子 事象そのものへ! より私の中の神を信じる。私が神なのではない。私が永遠と連なっているからして、その永遠の…
池田さんが禅に惹かれていらっしゃったのは、なんとなくわかる気がする。ユング、にも惹かれてらしたような。。 池田さんが惹かれたものにはとりあえず無条件で(?)接しましょう、ということで、すこし禅の関係書などを読むことがある。禅。思想と実践。 …
幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII作者: 岸見一郎,古賀史健出版社/メーカー: ダイヤモンド社発売日: 2016/02/26メディア: 単行本(ソフトカバー)この商品を含むブログ (29件) を見るを読んだ。気になった部分を抜き書きしてみる。 ”「教…
風呂で思いついたので、メモ。 人は、生きるための義務(したくなければしなくてもいいものではなく、しなければならないもの)として、食べるために生きる。これが第一段階。ここでの生きることとは、仕事といっていい。この仕事は生物として弱い人類は、分…
皆池田晶子さんが教えてくれた。 今日は僕の誕生日である。池田さんの、お亡くなりになった日の、数日あとに、この日がやって来る。 これはもう、仕方ない。 仕方ないが、池田さんの歳を、どんどん、どんどん超えていってしまう。 "馬齢”、という言葉がよぎ…
2007年2月23日午後9時半。池田晶子さんが亡くなられた日が、また近づいて来た。9年目に入る。9年。長いような、あっという間のような。その間に、世間でも、個人でも、さまざまなことが起きた。。。。気がする。だが、果たしてそうか。 見方を変えれば、なべ…
ことばのように、実に不可解で、微妙で、自然と精神から生まれたもの。(後略)永遠普遍と見えるものがあること。 ヘルマン・ヘッセ 幸福論 P.42 兼好にとって徒然とは、「紛るる方なく、ただひとり在る」幸福並びに不幸をいうのである。 小林秀雄 徒然草 よ…
ジョコビッチ氏が行っているグルテンフリー。小麦粉を食べない食事法だが、一人暮らしであることもあり、東京では出来るだけ実施している。つまりパンは食べない。うどんはやめて蕎麦にしている。まあ、安い蕎麦だとつなぎですこし入るので、”プチグルテンフ…
イマジナシオンとは、視覚世界から画家が受けるショックを、絵によって、再び視覚世界にむかって抵抗する能力にほかならない。 ”フランスの画家たち” 「スーラの素描」より 洲之内徹 気まぐれ美術館 P.315 新潮文庫フランスの画家たち (1968年)作者: 岡鹿之…
ラファエル前派展へ行った。 渋谷の街はやはり大混雑で、外国語が入り混じる。 場所によって歩いている人の性別や年齢が変わってくるのも面白い。レオナールフジタの銅板や、金子國義の銅板を見てからラファエル前派展へと向かった。僕が小さなころは印象派…
人がこの世にあって、あらまほしき姿とは。。。 。。価値を作る、ということではないだろうか。その時の価値、の位置づけは端的にその人に拠っている。だがやはり”真善美”に関わるものとなるだろう。 「画家というものは、結局は自分の気に入ったものを描く…
洲之内徹にたどり着いたのもまた、池田晶子さんの著作を通してだったのだろう。池田さんを通じて、あの小林秀雄を”再発見”した僕は、今度は小林を通して洲之内徹を知ることになった。小林は洲之内の美術評論を”当代一の評論”と称したという。小林秀雄といえ…
大学で文系が不要であると言われている。これは、大多数の人間に、特に経済活動に於いて、文字が、文章が、単なる情報伝達の手段としてしか本質的には感じられていないことも関係していよう。実学、という。この言葉の裏には、”文系、特に文学部なんて虚学だ…
エックハルトを読んでいる。エックハルト説教集 (岩波文庫)作者: エックハルト,田島照久出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1990/06/18メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 31回この商品を含むブログ (21件) を見るきっかけはいろいろある。まずはダミアン。ヘ…
2016年となった。「わたしたちは前を向いて生きているんですが、幸福というのは、近い将来を見つめる視線にあるのではなく、どこか現在自分が生きていることをうしろから見ている視線の中に、ふくまれるような気がするんです」吉本隆明 福島智 ぼくの命は言…