2019-01-01から1年間の記事一覧
”私”の”こころ”を探ってみると、 そこに”宗教アレルギー”がある。 より正確に言うなら、”宗教を理由とする組織に入ることにより、布教や献金を強制される、あるいは”自発的”にするようになること、および自分や家族がその時間をこれまた強制的にそうしたもの…
私とは何か さて死んだのは誰なのか 作者:池田 晶子 出版社/メーカー: 講談社 発売日: 2009/04/02 メディア: 単行本 次官が事実上更迭された。 日々このブログに良いと悪いはない、時間も空間もない、 と世迷い事を書き散らしている身で、この世のしんどいこ…
善い。良い。悪い。 良い、ということばを口にすると、 心の奥底で不安が兆す。 あ、この状態がなくなると、この私・気持ち・意識はいやだと思うだろう。 なくなることへの不安。 これは嫌な形をとった、”甘美なる意識の餌”。 意識はそのゆらめきを食べて存…
質問者: 何が事実なのでしょうか? マハラジ: 純粋な気づきのなかで、欲望と恐れから影響を受けずに知覚されたことが事実なのだ。 アイ・アム・ザット 私は在る ニサルガダッタ・マハラジ P.120 エゴ、或いは意識、”私”ではない私、いろいろな言い方はある…
そういう言葉がある。 さまざまに受け取れよう。 運命論的諦念。しかたない、あきらめよう、という受け取りが第一に来るかもしれない。 だがすこし残念だ。人として、人生を過ごしているこの瞬間を、外的要因で決められるものとしてあきらめている部分がある…
手塚治虫に”三つ目が通る”というマンガがある。 額の真ん中に裂けるように開く目もある。 写楽(だったかな)のは丸かったが。 目に見える外的な全てに注意を払い、 同時に内面にも注意を払うのだ。 P.252 ”それ”は在る 通常、人は自分の身体を境に、内側と…
最近、3つにまとまった存在、表現が気になっている。 どうも、3、という状態は、バランスがいいようなのだ。 さまざまな3つの表現、立場、言葉が思い出される。 三位一体。 真善美。 サット、チット、アーナンダ(存在、意識=気づき、至福)。 神、精霊、…
胡蝶の夢、という物語がある。 池田晶子さんの著作を読むと、池田さんが夢、というものに いわば”ひっかかって”らっしゃったという印象がある。 翻って自分。 夢は、夢、という印象である。 つまり、 睡眠時、脳がいわば”眠った状態”で”現実”に反応する必要…
全てがグラデーションであり、 境界は本来無い、という気づきは、当たり前のようではあるが、言われて気づくことでもある。 時代による変化。進化か、退化か、というジャッジもまた、裏に”善悪”の発想がある。 楽園喪失、アダムとイヴが知恵の実を蛇(アダム…
よく聴くがいい。 まず、思考について話そう。 思考とは、過去の知識の寄せ集めに他ならない。 思考は、決して現在である(今ここ)を知らない。 思考は(今ここ)を知ることができない。未来と過去について考えることはできる。 未来について考えていたこと…
意識とはどう定義すべきであるか。 ユングのいう集団的無意識、というものは、感覚的には超意識的というか、 精神の普段ある領域でのアップデートされる共通的なもの、という印象もあるし、 あるいはいわゆる太古からの動物的記憶、DNAへの記憶(記録)とい…
執着の反対語はなんであろうか。 ドクサの強い語である。 語に接するだけでも、なんらかの”執着”を自我に感じるほどの パワーのある語である。 今のわたしの気分では、たぶん”手放す”だ。 反対語、というものは、語が別々である、という意味だ。 非二元的に…
池田晶子さんが、問い続けたこと。例えば、最近よく引用させて頂く、ホーキンズ博士の本、"私"にはこうある。(p.338) 死とは、自己として同一視していたものをなくすことを意味しています。したがって、死にはさまざまな階層があると言えるでしょう。肉体の…
他者からどのように思われようとも、 無邪気な子供のように純粋に楽しめるなら、なんであれそれをするがいい。 起きることが起きるなら、あるがまま起こさせなさい。 高貴な存在になろうとせず、純粋な存在で在りなさい。 そこに善悪はない。 P.459 ヘルメス…
池田晶子さんの文章がなぜにこれほど好きなのかというと、 例えばこの文章、 誰もが同じようにいい目に会って然る「べきだ」。でもそれは無理だ。才能と努力は、皆違うのだもの。最初にそれを認めない限り、やがて人は、才能や努力それ自体をも妬むようにな…
上野の東京都美術館で開催中の第87回日本版画協会版画展に行った。 美術館に行くときは基本やはり企画展が中心で、有名画家のメイン絵画を前に、 ああ、これがあの有名な。。 と仰ぎ見るのも嫌いではない。 私は見るものは主にマンガから来ているので、抽象…
しかし、この、世の中には自分にはわからないことがある、ということをわかるだけでも、実は十分なのだ。自分にはわからないことがあるということさえわかっていない人は、決して進歩しない。それ以上考えることがないからである。 P.105 睥睨するヘーゲル …
グノーシスのことを初めて意識したのは、ヘルマン・ヘッセの”デミアン”を読んだ時であった。 デミアンはヘッセ自身を彷彿させるこの物語の話者、シンクレールに酒場でこう語る。 そしてーいつか読んだことがあるがー放蕩者の生活は神秘主義者になる最上の準…
経験をした、記憶としての私は、そのときのままとしては無い。 今、思い出す私の中にある。 また、今の結果としての将来の私はあるが、 それもまた今思っているものだ。 これは当たり前であるが、そのことはそうだ、と思っていないと、ぼやける。 過去の自分…
海外に行くことがある。 特に初めての場所。全てが目新しく、きらきらしている。 あるいは、興味深い。 貴重な経験、見落としてなるものか、と感覚は前後左右に触覚を伸ばす。 海外に限らない。新しい場所ではよく起きることだ。 だが、数回行くなら、そこに…
を読んでいる。 池田晶子著、94年に雑誌”正論”へ記載された文章を嚆矢とする。 本は読む時期、読む”自分”によって”読め方”が違うという。一読驚異、”ああ、池田さんはあのことをこうおっしゃっていたのか!!” 完全にわかってらっしゃる。そしてそのことを…
散歩で橋を渡るとき、河を眺めつい思う言葉、 行く川の流れは絶えずして、しかも同じ水にはあらず。 ワンパターンだなあ、と思いつつ、なんとなくこのフレーズが頭をよぎる。 水をモチーフに、全ての目前に生起する出来事は、この”時間”と”空間”のなかで常、…
2001年哲学の旅―コンプリート・ガイドブック 作者: 池田晶子,永沢まこと 出版社/メーカー: 新潮社 発売日: 2001/03/01 メディア: 単行本 購入: 1人 クリック: 5回 この商品を含むブログ (17件) を見る 池田さん流の "言え言え” が久しぶりに読みたくなってこ…
存在することのシンプルな感覚作者: ケンウィルバー,Ken Wilber,松永太郎出版社/メーカー: 春秋社発売日: 2005/11メディア: 単行本購入: 2人 クリック: 4回この商品を含むブログ (5件) を見る ウィトゲンシュタインが、ぶっきらぼうに言ったように、「わたし…
2001年哲学の旅―コンプリート・ガイドブック作者: 池田晶子,永沢まこと出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2001/03/01メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 5回この商品を含むブログ (17件) を見る “それ”は在る作者: ヘルメス・J・シャンブ出版社/メーカー: …
池田さんの文章で折に触れ、最近よく思い出すものがある。 ”差別はいけないドクサ”に真正面から切り込まれたもの。 曰く”差別はいけないが、上品(じょうぼん)、下品(げぼん)の魂の区別はある。多いに区別すべし”。 区別、いいのか!!! ”天才はすごい”…
池田晶子さんの本を読んで、 悩むな! 考えろ! と喝を頂き、 では、悩むとはなにか、考えるとはなにか、と考え、 確かに、悩むと考えるは違うなあ、とまずは思ったのである。 考えるは、深みがある。水平にも垂直にも突き抜けることができる。 悩む、には、…
池田晶子「悪妻に訊け」p.42((ソフトカバー版) 脳という構造を研究することは、その機能である心を研究することでもある。脳と心、このふたつは、同じ何かの二つの面なのである。 当時東大の現役解剖学者であった養老孟司が、NHKスペシャルの冒頭で述べたと…
存在することのシンプルな感覚作者: ケンウィルバー,Ken Wilber,松永太郎出版社/メーカー: 春秋社発売日: 2005/11メディア: 単行本購入: 2人 クリック: 4回この商品を含むブログ (5件) を見る 引き続きウィルバーから引用する。 世界はなすべきことをなす。…
少し版画をかじっている。 師事する先生がお好きなテーマは”エロスとタナトス”。 西洋での画題で、しゃれこうべと美女、が描かれているのもその一例である。 ”メメントモリ”=死を想え という画題とも連なる。 絵に対するいろいろなアプローチがあると思うが…