2010-12-01から1ヶ月間の記事一覧
池田晶子さんはこういった。私は宗教については詳しい、と。であるからして、宗教について述べるが、もし仮に自分を教祖のように考える読者がいたら書き手としては敗北である、と。宗教とは、考えることが契機になる気がする。そして又池田さんは言った。悩…
グノーシス神話が答えようとする人間の実存的な問いかけとは。「われわれは誰であったのか。われわれは何になったのか。われわれはどこにいたのか。われわれはどこに投げ込まれているのか。我々はどこへ行くのか。われわれは何から解放されたのか」アレキサ…
「無」が存在した時があった。この「無」とは、存在するものの一種だったのではない。そうではなく、単純かつ留保なしで、いかなる屁理屈もなく、全面的に「無」が存在したのである。「存在した」というのは、(何かが)「存在した」kとを言い表したいのでは…
街場の教育論 内田樹、P.153知とはなにか一つの精神がおのれの外部にある別の精神と触れるのに用いうる唯一の道具、それが知である。 エマニュエル・レヴィナス P.251宗教教育は可能か私自身は宗教性ということをこんなふうに考えています。 自分を無限に広…
人生の目的とはなにか。生きる、とはどういうことか。死とはなにか。 池田晶子さんの著書を読んでいると、そんなことを聞かれている気がしてくる。勿論その根底には”私とはなにか”という言葉が常に流れる主旋律のようにあり、善とはなにか、ということが骨太…