正月があけてから2日働き、3連休。その3連休も本日で終了となる。
ヴィクトール・E・フランクル 夜と霧 新版 池田香代子訳から。
「人生は歯医者の椅子に坐っているようなものだ。さあこれからが本番だ、と思っているうちに終わってしまう」
P.122
「苦悩という情動は、それについて明晰判断に表象したとたん、苦悩であることをやめる」
P.125
人は未来を見すえてはじめて、いうなれば永遠の相のもとにのみ存在しうる。
P.123
内面的な勝利を勝ち得る、ということが人生には必要だ。
収容所では、反吐がでるような問いに思考の全てを挙げて苛まれなくてはならない。心理学者であるフランクルにしてもそうだ。そこでフランクルはトリックを弄する。豪華な大ホールの演題で講演をする自分。演題はなんと強制収用所の心理学。
そうすることで、自分の今の苦しみは客観化され、学問という一段高いところから客観化されうる。
自らを救おうとするぎりぎりの苦悩の中からやむにやまれずでてきたこの解決法は、人生一般にあてはまる。人は自らの死で自分に対してはなにもすることは出来ないが、その死を以って他人になにかを伝えることのみできる。
これは昨日の読売新聞で養老孟司氏がフランクルが収容所で掴んだ認識として紹介したものだ。死が隠蔽され報道されないこの国で、津波に攫われる人の映像はその次の瞬間に来たその人の死をも同時に伝えた。死が画面にどうしようもなく現れた瞬間だ。
それは日常の枝葉末節に翻弄される日々、本質的な生きる目標がなく生きる、ということを本能的に感じて心の深いところで絶望していた日本人、というものの精神に、抜きがたい一撃を与えるものであった。それは、”人は死ぬ”ということだ。
強制収用所での他人による予期できない死は、死神による予期できない死と本質的に寸分の違いもないものだ。少し見えにくいだけ、なのだ。
そこに気が付いて、例えば自らを救うためのトリックを弄する。その装置が例えばリベラルアーツ、だったりするのだろう。
教育に関する知見として内田樹氏が述べる、実学ではなくリベラルアーツを学ぶ学び舎の必要性に深く同意できるところはそういうところが理由である。衣食足りて礼節を知る。その言葉の本質は名誉欲が最後に来る、ということではあるが、その段階になって初めて、”緩やかな人生という強制収用所”にいる我々は自らを客観化し、いわば初めて”人のために生きうる”。
”社会性を得る”、あるいは””社会を良くする”ともいう。
ソクラテスは”善く生きる”といった。
貴族はいわば生きるテクニックとして”ノブリス・オブリージュ”と伝えた。
それを強制的に即効性を以ってわからせる機会に図らずもなってしまったのが今回の震災である。石原慎太郎は”言葉は悪いが”と前置きしつつも、おごり高ぶった我々へのバチだ、という意味のことを述べていたように思う。死者への鎮魂も含め、死者により示された死に方によってしかわれわれは考えない、ということだろうか。
池田晶子さんは、”死に方上手”という連載を持っていた。単行本化のときは語感の問題だろうか、タイトルにはならなかったが、正面からそう語るのは、それを見ないことで生きる、ということが暗黙の了解であるこの”ニホンの”生の中で、人を追い詰めて露悪的、と見なされることを百も承知のあり方であった。逃げることのない、本気の問い。”善く生きるのであれば、これを見よ”と、自分がどう思われようと関係なく(そも自分とはなにか、という問いを発しつつ)、いわばソクラテスそのものとして池田さんは在った。ひとにどうこう思われるのがどうこうするようでは、そもそもこんな問いはたてません。そんな池田さんの在り方が堪らなくまぶしかった。
だから僕は池田さんに惹かれたのだ。
今回の震災につき、池田さんならどうおっしゃるであろうか。永遠?にわかるのかわからないのか、わからないが、僕はそんなことを考え続けている。
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池田さんの例えばいろいろな言葉は基本的に本を通してからしか入手できない。こうしてWEBで書くのもおかしいのだが、本、というものが電子化されるであろう。それは避けがたい流れだろう。なぜならより簡単だから。10年経てば当たり前に電子本になるだろう。
そのとき本はその本としてのみの存在価値がわかりやすくなり、しかしよりマイナーな存在になるだろう。50年後の小学生は、”え、紙の本なんて見てるの?”となるだろう。薄利多売でなんとか存在しているこの国の出版界は残念ながらもたない。本は欲しい人だけが、買う高価なもの、になるだろう。そしてそのような人は物好き、あるいは過去にこだわる過去の人、となるだろう。
残念なことである。装丁家である桂川潤氏の著作”本は物である 装丁という仕事”を読んでそう思った。
P.144にこんな言葉がある。
「エンピツ画のすすめ」風間完 45ページからの引用だ。この本は確か僕も持っていた記憶がある。
”才能の無い者が絵を描いてもしょうがない、と自分でも思ったり、他人から言われたりしたことはありませんか。
でも絵を描くという行為が多少でもほかのことに較べてひそかな楽しみであるなら、やはりあなたには絵の才能があるのだと私は思うのです。”
無くなりそうな、切羽詰ったところにあるから、改めて当たり前のようにあった、本の装丁という仕事の意味を考えてみる。そうすると見えてくる本質のところ。どうしようもなく良いところ、高みを目指す行為、それがいい。そうありたい。
僕も絵を描くという行為が大好きだ。なんらかの形で関わりたいと思う。そんなとき風間さんの言葉は、それを紹介する桂川さんの言葉は、すごく温かい。
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桂川さんが実はイラストを書いていた、池田さん(の文章)に薦められて買ったのがこの本。
ユング―魂の現実性(リアリティー) (現代思想の冒険者たち)
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この本の中でお薦めされており、気になった本。
- 作者: 日和聡子,金井田英津子
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