少し長くなりますが。。
池田晶子 新・考えるヒント P.37 「プラトンの「国家」」
”大衆とは、ある意味では、現実に存在するものしか信じない者たちの謂いである。それなら、現実には存在しない国家を、現実に存在するものであるかのように表象する知識人たちとて同様であろう。現実は理念が作っているとは、思惟する経験を知らない者には、理屈にしか聞こえまい。形而上学とは絵空事の別名である。なるほど現実には存在しないのだから、それは絵空事といっていい。しかし、現実に存在するとはどういうことかと、思惟することなく信じ込んでいる者の人生が、まさしく絵空事であるのは事実であろう。”
死を考えることで初めて生がわかる。
死という視点を得た生は、”いきいきする”。
現実を現実といいたいものの心の奥には、”所詮現実はむなしいもの”という変に初期インストールされた諦念がひそんではいないか。しかし、
そうでも、ないのではないか。
生を死を通して見る。死は知られることはない、無知の知、といったときのほぼ初句の疑問はこれだ。死とはなにか。ああ、わからない。
わからないと、わかる。
死んでこそ浮かぶ瀬もある。
死んだのちの生を、ああ、わかっちゃった、のあとの生を、ただ生きるだけだ、とおっしゃった池田さん。
であれば、あれ、池田さんはどこに?
ほら、ここに。
- 作者: 池田晶子
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