夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

捨て眼、捨て耳。

最近聞いて、残った言葉。

”捨て眼””捨て耳”。

いつも、どこにいても、意識の中に眼を開いておき、見るとはなしに見る。

意識のどこかを、常にOPENにしておく。ONにしておく。

そう意識することで、世の中で自分が美しい、と思うことを、心に残しておきたい”絵”を、見逃すことがなくなる。

見る、という意識は特段なくとも。

これが”耳”でもいい。よき音、よき声。よい一言。

いつもなにかを残したい、と思い、ある意味がつがつと情報を取り込んだ時期があった。

しかし、いつしか”もういいかな”と思う時期が来た。これからは増やすことだけではなく、”引き出し”にもしなにかが入ったのなら、それを大事にしてゆく時期かもしれない。

そう思った。

見ているTVを減らす。読むものも減らす。

そこから、それでも”たち登ってくるもの”、”訴えてくるもの”は自分にとっての必要なものなのかもしれない。

そう思っている。

だが、捨て耳、捨て眼。ある意味唯我独尊、倣岸にもつながりかねない”これだけでいい”を、ちょっとだけ”いいのか?”と押さえる機能が、あるかもしれない。

そんな気持ちの揺れを、楽しんでいる自分がいたりします。

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我が家のガクアジサイ

美しいブルーで咲いてくれている。

元は前の我が家の持ち主”伊藤さん”が植えたもの。この世にてお会いすることはなかったが、今こうしてこうブログを書き付けているこの”本のコクピット”(いや、本が多すぎて前後左右、壁まで本だらけでやっと坐る場所があるからそう呼ぶわけなんですが)3畳を作り、そこで面を打っていたとも聞く。

その渋い山野草趣味を、季節毎に庭に芽吹く新芽たちから日々教えられるわけだが、

このアジサイは違う。

でかい。すでに小山の如し。”雪崩打つ””アバランシュホールド(笑)”という言葉の具現化が如く庭に鎮座する。

すでにして狭い庭の、イメージ1/3を占めている。

冬の間、だいぶ枝を払ったのになあ。

いや、別にいやなわけではない、むしろよろこんでいるのだが。

空気がじっとりと重いこの季節、蚊にさされながらもすがすがしい朝の空気のもと、ぼんやりとアジサイの”群れ”を眺めている。

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「背後を振り返る人、或いは見る夢」

”背後を振り返り、光源を見たとしたら、彼は人間達が影を見ているに過ぎない事を知るであろうが、闇に慣れていた眼が光でやられるから、どうしても行動がおかしくなる。
(中略)
つまり、彼は洞窟の比喩を語り終わると直ぐ、自分の死を予言するのである。
(中略)
どんな高徳な人と言われているものも、恐ろしい、無法な欲望を内に隠し持っている、ということをくれぐれも忘れるな、それは君が、君の理性の眠る夜、見る夢を観察してみればすぐわかる事だ。”

小林秀雄 考えるヒント P.25 「国家」より。

池田晶子さんが、小林秀雄の「考えるヒント」の自己トリビュート本「新・考えるヒント」を出されたときは痺れた。

しかし、残念ながら、よくわからなかった。なぜわからないのか」、わからない。読むのだが、わからない。

いつか、わかるようになりたい。

そう思って、小林版の「国家」と池田版の「国家」をそれぞれCOPYして、昨日のブログにてご紹介した”100円厚紙バインダー”に挟み込んだ。もう何年も前のことだ。

そして読みまくった、となれば美談なのだが、挟み込むことで安心しきってしまい、たまにめくる程度、わかったとはとてもいえない。

バインダーは勿論収容量に限度があり、1年前くらいのメモしかはいらない。それ以前は”アーカイブ”と称する(今からだが)別のバインダーに移動する。これも100円なのだ。

だが、最近アーカイブから国家x2を救出、現行バインダーに挟み込んだ。そして読んだ。

すごい。

小林の文章、国家をキイにプラトンを、ソクラテスを縦横無尽に語る。その融通無碍。

ソクラテスの死については、拙稿(アマゾン書評・死と生きる)でも考えたつもりだったが、ここに明確に書いてあるではないか。

流石、というのはおこがましいのだが、やはり小林秀雄はすごい。

そしてそれに呼応する池田晶子の文章もまた。

ソクラテスが、プラトンが、人生、人、について既に答えを出してしまっている。我々は”その後”を生きている。

そう感じるほどだ。

その個人的なる感動を、暑苦しいかもしれませんが、こうしてここに残させていただくことにする。

新装版 考えるヒント (文春文庫)

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新・考えるヒント

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死と生きる―獄中哲学対話

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