- 作者: 大峯あきら
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2013/07/31
- メディア: 単行本
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詩。言葉。
生の一回性。
生の不思議さ。
p.52から
”詩は、人間と宇宙という無限なものとの対話です”
池田晶子さんの病床、亡くなる寸前に届き、池田さんがとても喜ばれた本が、この大峯顯氏との対談集、”君自身に還れ”であったという。
- 作者: 大峯顯/池田晶子
- 出版社/メーカー: 本願寺出版社
- 発売日: 2007/03/10
- メディア: 単行本
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大峯顯氏との会話で、池田さんは菩薩と呼ばれ、詩人の心を持っていると伝えられる。
僧侶であり、詩人でもある大峯氏は、自身の心を見るような思いで池田さんと会談されたのではないだろうか。魂の共感、共有性、共鳴。
会談はお互いがお互いへの深い信頼感をもって行われる。羨ましいほどだ。これは、そもそも不思議なこの世界、この生のなかで、文字の、言葉の本質的な意味で”稀有”のことだ。
それは会談のとき、池田さんが”剣ヶ峰を歩くような”病を抱えていた、からではない。そうではなく、そも不思議を不思議として感じ、抱え、温めて日々考えている魂同士が、たまたま出会い、近くで旋回、隣接し、語り合った、ということが、このうえなく稀なことである、ということである。
日々が、一瞬が、すべての存在が閃光のごとき不可思議であるところの生の中でも、特に、別々の宇宙で生まれ流れ来た彗星同士が、その長い尾を引いた軌跡のなかで、出会い、接し、語り合った、とでも言おうか。
タイトルの句は、池田さんの逝去を知った大峯さんが詠まれたものである。
この句を読むと、知らず空を、虚空を、”うえ”を知らず見ている自分に気がつく。まるで、池田晶子さんがそこにいらっしゃるかのように、仰ぎみている。
”池田晶子”という”この世での稀有なる出来事”。
”魂のバトン”という言葉がある。共有した思いを持った人同士が、年うえなるひとがその思いを年若のひとに伝え、育むことを託すことだ、と理解している。
池田さんと大峯さんの会談は、多分にそのような要素を持ったものであったと思う。通常?と違うのは、本来年わかで受け継ぐ側であるべき、池田さんが年わかくして亡くなったことだ。
”魂のバトン”を引き継がれることになったのは、実は大峯さんとなったのである。
大峯さんがどのような思いで会談に臨まれたのかは僕はわからない。わからないがその後大峯さんは池田晶子という菩薩にして詩人たる魂を、そのあり方を、その、ああ、言ってしまえばありきたりの言葉だが”素晴らしさ”を、
伝え続けてくださっているように思う。
これが、”バトン”を受け取ったものの、正しい所作、なのだと思う。
新書の形で、こうして大峯さんの本が気軽に読めるのは、ありがたい。講演した語をそのまま採った、ということなので、語りことばとして頭に入ってくる。
なにより、詩人としての大峯さんのみずみずしい感性を感じさせていただける。
池田晶子さんの命日が明日に迫った。
寒さが身に染みるこの時期、梅の花を見て桜を待ち望むような気持ちで、この本を読んでいる。