夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

久しぶりに僕は神戸の風を。

神戸の街を久しぶりに歩く。

それは奇妙な2日間であった。

神戸へ向かう新幹線の中では、村上春樹が多分神戸での震災を下敷きたる基本旋律とした短編集”神の子どもたちはみな踊る”のなかの「蜂蜜パイ」を読んだ。

村上のような主人公、少なくとも自己の要素を投影したと思しき主人公。自身と村上との共通点を、そして非共通点を思う。共通点ではない、類似していると自分では思いたい点、なのかもしれない。

関西の、兵庫県の出身。大阪、ではない。たぶん親しき繁華街として三ノ宮、を持つ。今はそこ、あるいはその近辺に住んではおらず、震災の時もそこには住んでいなかった。そのことへのもしかしたら罪悪感。

早稲田大学。村上氏はそこに入り、僕は入らなかった。

第一志望、と自身では思おうとした第一文学部には通らなかった。そこでよくわからないが小説を学べれば。唯一就職できそうに(勝手に)思われる文学部。そこに倫理で入る。駄目なら文学部はあきらめる。

そこに落ちて、商学部にだけ通ったとき、どこかでほっとしていた。自分に小説が書けるのか。書いているという外見だけが欲しいのではないか、という疑念がどこかにあったのだ。

怖かったのだろう。何に??

村上氏は早稲田に縁があった。僕はなかった。

類似する点、しない点。

そして神戸でのゆるやかな共通点。

オウム。

村上氏はその著書”アンダーグラウンド”でオウムのサリン被害を受けた人々のノンフェクション的インタビューを続けた。人々の声を出来だけ忠実に、そのままに。しかしそれを何十にも積み重ねることで、なのものかが立ち上ってくる。

その本を通してサリン散布実行犯として死刑判決を受けた豊田亨が自分の母校の同窓生であることを知った、或いは明確に意識した。

村上氏の小説に出る人物のしゃべることばのニュアンス、これはやはりそこに生まれ育った人間のみが醸し出せるものだ、という気がする。

新長田駅で普通電車をホームで待つ。中年の婦人の会話でふと漏れ聞こえる。”震災”。会話の中で、やはり震災はまだ現実なのだ。繋がった現実なのだ。と思う。

そして久しぶりに高架下を歩く。学生のころ、金を持たずにうろうろした。何回も往復した感覚がよみがえる。そして妙に古本屋に目がゆく。昔は余りなかったような。或いは気がつかなかったのか。

この猥雑な、奇妙な風体のひとびと。若い人だけではない、中年のおっさんもおばはんも。相変わらずのわけのわからなさ。猥雑たる活気の気配、見たいなものを吸い込みながらあのころ歩いていたのだなあと、思い出す。

須磨の海岸。こんなに綺麗だったろうか?シーズンオフだからなのか、コンクリートの小さな桟橋を歩くと、びっくりするような大きさの魚影が。こんなところに魚がおったっけ?

なにやら似ていて別のもののような。それが震災後と震災前、という切り口なのか、単なる時間の経緯なのか。多分両方なのだろうが、それを見なければいけない、だれの為、というわけではないのだが、という気持ちがどこかにある。これはなんだろう?贖罪?なにに対してなのか。

ぼんやりと思うのはこちらの高校生のスカートが長いこと。名古屋が短いのか、それともこちらはやはりそういう傾向があるのか。どうでもいいことのようであるが、妙に気になる。単に学校でうるさく指導するだけなのかもしれないが。気持ちの基本基調の差異、というものも少しあるような気がしている。大げさかもしれないが文化の萌芽状況の差異、とでもいうような。