夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

村上春樹 イエスタデイ。

今日は体重を測らず。昨日の歩数は11142歩。1万歩を超えると安心する。

村上春樹の連作短編集「女のいない男たち」を読んでいる。

村上氏は「はじめに」で短編は様々な手法を試せる場であり興味深い、とおっしゃっている。長編はもちろん一貫した文体やルールで長期間執筆される必要があり、そのストレスを経験していると、短編で軽やかにいろいろ試せる形のストレスが楽しく感じられるというご説明は大変納得できるところだ。

この場合のストレスとは、悪い意味のみでのストレスではない。よきプレッシャーというか、自身を前に進ませる(結果的に)負荷というか、そのようなニュアンスで使っている。

この「イエスタデイ」、まだ読み始めて途中なのだが、村上氏の小説で思うのは、登場人物が村上さんご自身、あるいは過去の村上さんであるかのように感じられる点が魅力的である、ということだ。

勿論そのものずばりではない。だが過去の村上さんの一部を使って、そこをキイあるいはレバーにして物語が立ち上っている感があるのだ。

この物語では、僕というのは私(あるいは我々)が知る村上さんのプロフィールに沿っている感がある。もちろん正確に、かどうかはわからない。そう思わせるのは、まさに村上さんが研ぎ澄ませることに執心されているという「文体」のなせる技かもしれない。

私は神戸の生まれだが、主に住んだのは神戸の西の境目で、すぐ横はとなりの市である明石市、というところである。なので、「神戸市民」という感覚はあるのだが、ある日同じ高校に通う一つ年上の生徒(まったく面識がなかったのだが、なぜ彼とそんな話をしたのかはわからない)と、お前はどのあたりの神戸に住んでいるのか、というようなことを聞かれ、場所を答えると、「あんなところは本当の神戸ではない」となぜかDISられた。誠に驚いたのだが、その人の住まいは六甲であるという。六甲というのは神戸地区の皆さんはご存じかもしれないが、比較的金持ちのエリアという印象がある。

だが私は思ったのだ。そもそも六甲は神戸市とちゃうんとちゃうか、と。

言葉も大阪と神戸とそして播州あたりではちょっと違う。明確に違うのは神戸では音便形?である「やっとう」というのだがたぶん大阪では「やっとる」という気がする。播州では語尾がちょっとちがって独自の語尾を含む「なんどいや」という言い方がある。これは多分大阪や神戸にはないだろう。

こうしたことに敏感なのは、まずは私が小学校の時から「標準語のイントネーション」を自然に知っていたことだ。これはテレビを見て習得したものだろう。友達とあまり遊ばず、家でアニメを見まくっていたことが理由であろう。つまり幼児期に「標準語」を多く浴びているのだ。

なので、小学校のある日、国語で朗読をしろと言われ、ごく自然に「朗読」モードになったのであろう、読んでいると、「お前は東京の出身か」と聞かれた。

大変驚いて、その時初めて自分がいわゆるこの地区で話さないイントネーション(イントネーションの違いで関西出身者かどうかは、その人が関西で修行(笑)していない限り一瞬でわかるものだ)で朗読していたことを知ったのだった。

確か小学校4年位であったろうか。

その時までは、方言の存在を意識していなかったのだ。もちろんマンガなどで聞いたことがない語尾を読むことはたくさんあった。だがそれを明確に方言と結びつけてはいなかった。マンガだと書き言葉なので、イントネーションの差は感じない。単なる癖のような、そのキャラクターのキャラクター(反復すみません)であると認識していたようだ。

知らず読んだ言い方が、東京のものだ、という意識さえない。ああ、そうか、東京というところではしゃべり方が違うんだな。と実感として一瞬で把握した。

人生には他の人や話した本人にとっては意識・記憶されていないが、聞いた本人に深く残る言葉がある。タイミングであろう、その時の知識の進み具合からであろう。これなんかは一つの忘れられない思い出だ。

このような経緯から、私の場合は敢えて「東京にきたから東京の言葉を学ぼう」という意識を持ったことはない。もちろん小さな違いはある。だがどうやらだいたい、つまりイントネーションでは関西出身ということはあまり伝わらないようだ。逆に関西出身の人で標準語を後天的にしゃべろうとしている人は、そのイントネーションでだいたいがわかる。もちろん完全ではないが、「ああ、その言葉のイントネーションは関西弁やな」と思って聞いている。

そもそもこの「イントネーション」の語、一語だけでほぼわかるものだ。

標準語では「イ」を強調するが、関西弁では「ネ」を強調する。その他の地区でもあるかもしれないが、だいたいこの語の発音で、「ああ、あの人は関西人やな」と心では思っている。

さて、話がそれた。

読んでいただくとわかるが、この村上春樹の「イエスタデイ」、田園調布に生まれ育った男が、完璧な関西弁を「外国語のように」学び「寝言も関西弁やで」というほどに習得している話だ。

村上氏が「芦屋あたり」の(たしか)ご出身であるので、これは安心して読めるところだ。

(ですがここ名古屋地区でまわりにだれも神戸出身者がいないので、家の中や寝言では関西弁で過ごしてはいるものの(笑)、次第に「アップデート」不足になっている感じがします。。。)