夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

遺す。

村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」を読んだ。

村上は自身を論理的な人間ではないという。語ることは苦手であり、書くことにより自身の考えていることが自身でわかってくる、という。

日本語で語ることは苦手である。英語で語るときは、少し語りやすく、伝えやすい。外国語を使うことで、しゃべることで、論理をダイレクトに表現するしかない部分があるからである。

100キロのウルトラマラソンを走った経験があるという。

人生はマラソンである、という言葉を思い出した。100キロを走ったとき、75キロまでは本当に苦しくて、しかしある時点を越えたら文字通りどこまでも走れるような気持ちになり100キロを完走した。

村上は自身に墓碑銘というものが書かれるとしたら、こう刻んで欲しいという。

少なくとも最後まで歩かなかった

生きる、という不思議で奇跡的な出来事を最も最も驚き大切にしている人の、言葉であると思う。

池田晶子氏が自らの墓碑銘として世に示されたのは、

さて、死んだのはだれなのか

であるが、ここには死ということの考察と不思議を通して、生の不思議と奇跡を問うた人の姿が立ち上る。

書くことで自らのことを探る、4時に起きて本当に集中して数時間を著作に費やし続ける生活をするために、走り体力をつけ、集中力を高めることに注力する村上氏もまた、自身の生を十全に生きる、ということを追求する一つの魂である。

一つの世界霊魂の最良の形、というような言葉が浮かぶ。

人は肉体と魂に分けたものだろうか。

池田さんを読んでから、例えば小林秀雄に魂というものがあることはある意味当たり前である、という文章をも見つけ、

魂の不思議というものに気づかされた。

そのなかでこの世でたまたま魂が伴走するこの肉体、
肉体との接し方というものも考える。

村上氏は肉体を長距離を走ることができる集中する道具として先鋭化させる。その手段が走ることである。走ることで体を強化する。

嫌なことがあったときは少し距離を伸ばす。体をいじめることで結果的に体を強化する。より耐性を高めるとともに、そこには嫌なことがあったおかげでありがたい、よりからだが強くなった、という結果に昇華することで、嫌なことをよきことを得るきっかけにする戦略、つまり嫌なことはいいこと、という考えというか生き方のコツ、のようなものもあるだろう。

艱難辛苦が汝を玉にする、というヤツである。

そんな体を先鋭化させる作業である走るという行為の確認が、フルマラソンであり、トライアスロンであり、100キロマラソンである。

自身は100キロを走ることができる。そこまでこの肉体を最強にしてその集中力のすべてを使って自身の魂の深淵を愚直に掘り進んでそのなかにある不健康な暗黒部分を覗き現出させる。

明確な戦略である。そこに他人が評論したりする余地はない。だからだろう、デビュー当時から文壇からは徹底的に拒否されたという。自らをとことん深堀して文章を追及する人たちがいなかったからだろう。生きるためのよすがとなる文章。

生きるよすがで文章を売る。売文。みすぎよすぎ。そんな姿勢をことさら否定はすまい。だが僕は違う文章を書く。そういわれた文壇が自身の強烈な否定であることがわからないはずがあろうか。だからある意味拒絶は自身の姿勢の強烈な肯定でもあったのだろう。

言葉の不思議さ、人は言葉を得て初めて生きたのだと池田さんは喝破されたが、そして売るための文章を書くのであれば商売をするほうがましである、文を言葉を大切にせよ、とおっしゃったが、

ひとびとが魂で選び取る言葉、というもの、遺ってゆく言葉を生み出す人の基本的な意識と矜持、というものはどこかで繋がっているものなのであろう。

自分のことを、この村上氏の文章を読みながら考えざるを得ない。

共通点がある。

共に神戸で生まれたこと。

海を身近に感じて、育ったこと。

いまはそこにいないこと。故にいつもその土地のことをどこかで考えている気がする。

お金で買える一番素晴らしいものは、自由と時間である、ということ。

だからお金が欲しいなあ、という思いは自分の中である。
僕は子供の頃なりたいものはなにか、といわれて、困った。

実は明確にあったのだ。遺産があって、その見入りで生活したい。

勿論遺産などない。野球選手や警察官になる、という言葉を要求されているであろう問いに遺産で生活したい、という答えを出すことはいくらなんでもはばかられ、また遺産もないので出来もしないわけでもあり、

仕方なく”大きな犬を飼って過ごす”などと書いてお茶をにごした。

ああ、これは専業主婦を目指します、というのと同じだなあ、僕は男なのに。

そんな風に思ったことが昨日のことのように残っている。

大きな犬、というのは勿論名犬ラッシーの大ファンであった、裏番組の元祖天才バカボンを敢えてガマンして(「おそ松くん」が少年時代のアイドルであった僕が)見続けた僕にとって、コリー犬なのであった。

ああ、ここは池田晶子さんとの魂の共通項(苦笑)の部分だ、今は村上さんの話であった。

つまりは金があれば時間と自由が買える、ということを小学生時代から感じていた、という部分である。

ここ、強烈な同意感があった。

朝、集中して作業をする。早寝早起き型であること。何らかの形で体を鍛えていること。そしてその結果として体の変化を感じていること。

そんなこんなを読みながら村上さんと語り合ったような感覚があった。共通項と違った点。当たり前である。村上春樹を読む人はみんなそれを感じているものだろうか。

走ることについて語るときに僕の語ること

走ることについて語るときに僕の語ること

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池田晶子さんの「残酷人生論」、増補改定版が出るようですね!!
いや勿論持っているが、増補、というところが愉しみだなあ!!!

残酷人生論 (11月13日刊行予定)
ISBN:9784620320229
池田 晶子:著
毎日新聞社
1,000円

残酷人生論

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