恋愛と結婚は別だ、という意見を昔からよく聞くが、端的に聞くと不快だったのは、




あまちゃんだからだろうか。
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恋愛とは、男女ともに自身が持つ男性としての理想のイデアや女性に対する理想のイデア(イデアは理想と同意だろうから畳語??)を、日々の生活の中で持ちながら、出会った対象者に投影してそれを得ようとする行為であろう。
そこで”閾値”を超えた対象に出合えば”一目ぼれ”となる。
いわゆるアイドルや女優(ま、私の場合)は、一般的な人種にとって、映像の中アプローチされる際、”各人の”美のイデア”の閾値を超えがちであるような人材”を、その結果生じる欲望から利益を得るために提示する仕組み、といえると考える。
もちろん、個人によって、美のイデア、だけではなく、例えば(理想)対象のイデア、が美以外の要素を含むこともあるだろう。これが男性、女性、というような個人個人の理想だ。
まあ、それがいわゆる”好み”ということになるだろう。
いわゆる映像メディアが無い時代(江戸時代とか)は、まあ、絵くらいがそういう”この世界に存在する至高の美、(あるいは理想の異性)はこんなもんですよ、ということを皆さんに紹介する唯一の手段だったはずなので、絵というものへの人々のニーズは高かったであろう(いわゆる錦絵(難波やおせん、のような)など)。
その後写真が来て、映像が来る。映像もTVのあとネットで世界とつながることで、個人は個人が持つ個人的美のイデアを、全世界からついつい毎日探してしまうことになった。
これは短期的には楽しく幸せだが、中長期的には厳しくてしんどい行為だ。
日本人の男性は、外国人女性にあまり人気がないと聞く。
これはもちろん様々な要素があろうが、個人的な本音でいけばいわゆる”男性、あるいは美のイデア”から若干世界平均に届く人材が少ないからではないか。
世界の中で自身の中で一番の”美のイデア”に近い人を、例えばWEBで知ったとすれば、自身の恋愛対象もすくなくとも”近くて妥協できる”レベルであつらえたい、と思うのが自然だろう。
だが、身のまわり出会う人々に、おいそれとそういう人材がいるわけがない。
単民族国家に近いここ日本の場合、ほとんど日本人。無理でしかない。
ぜんぜんいいひとがいない、という詠嘆は、そのあたりの”知らず上がっている美のイデアの水準”が影響しているはずだ。
最近の美容整形の増加にも、そのあたりが影響しているだろう。
人は、金を出せば自身を自身の理想に近い(それは異性から(自分にとってもも含む)求められあこがれられる=美のイデアの範疇に入れてもらえる 人材に自身がなることなのだ)自分になれる可能性がある(かもしれない)ことを知ってしまった。
江戸時代であれば、近隣に鳴り響く美人は、今のレベルではアイドル選抜に落ちましたくらいかもしれない。
今は人は、すくなくとも”世界水準の”美のイデア”にぎりぎりかするくらいの対象を、求めたくなってしまって抑えられない。
それは結構むつかしい。というか無理だろう。
そのあたり、結構最近の結婚の減少に地味に影響している気がする。
冒頭の語、
恋愛:美のイデアにかすってれば、仮にずっといっしょにいるのが微妙なひとでもいい
結婚:美のイデアにはある程度妥協して、あるいはあきらめて、一緒にいるのが楽な人がいい、という諦念。
ということを感じる。
これが徹頭徹尾自分勝手で、基本相手のことを尊重していない人間の言葉だ、と感じるのであるが、一方でそれが真実であろう、とも思う。
理想かもしれないが、偉そうなこと言う前に、自身を自身でできるだけブラッシュアップしてから言えや!、などと
ひとには言わないが思っている相も変わらず甘っちょろい自分がいる。
(いつの時代も、人間は悩む存在ですよね。。)