夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

靴下の穴とヌース。

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靴下に穴があいていた。

一応朝はチェックするので、会社に来るときに破れたのか。

いやあ、発見して以来、ずっと気になっている。

まさに日々版「住宅ローンストレス」のようである。

まあ、人前で靴を脱がなければいいのだが、そういう意味では靴を脱ぐような食事の場では気を付けねばならない。

というか、念のため会社に一足おいておくか!?

 


悟性が飽くまで感性的な形象を通してイデアを観るに反し、知性はイデアを通してイデアを観る。
井筒俊彦 神秘哲学 P.113
プラトンは、「人間の有する最高の精神的作用」を、上位知性(ヌース)とした。

のちのグノーシス派では、ヌースの名をいわば人格化(神格化というべきか)して取り込んだが、プラトンではそうした象徴化、という要素は低いように、あるいは無いように感じる。

そして、禅、などに接していると、「悟り」こそが究極、「知性」とはあくまで人間に密接なもの、という風に感じる。悟り、という飛躍こそが自らを超えるもの、という個人的感覚がある。

このあたりはやはり文化の東西の癖、のようなものだろうか。

純粋化した最高の知性こそが最も素晴らしい、というのは、やはり哲学的な感触だと感じる。悟り、となるとよりいわゆる宗教、生きるということとはいったん離れているもの、という感覚もある。

そのあたりを読んでいて、面白く感じたのでメモしておく。

(地に足がついている感もありますね)