今朝の体重66.4kg、体脂肪9.4%。
数日体重測らず。
まあ、お菓子はちょこちょこ食べたが、それほど爆食いしていないので、こんなものかな、というところ。
ラマナ・マハルシ「真我」より。
「私」の源を探ることが、他の想念を払い去ります。他の想念が入る余地を与えてはいけません。想念が起こるたびに、「この想いは誰に起こったのか」と尋ねることで、「私」という想念の源を見いだすことに注意を集中させなさい。
神保町の古本屋で、シャンカラの”ウパデーシャ・サーハスリー”(岩波文庫)を買った。
シャンカラ、という人が、いわゆる”魂を考える”という流れのなかで、なんとなく知っておきたい人である、という印象があったのだ。
古い版で、400円で買えたのであるが、今新刊で(ちょっとレアな岩波などは)買うよりも、リアル古書店で買う(値付けはその本が新刊だったときの定価の仮に6掛けや8掛けだったとしても)のが、実は一番安いケースがあるな、と気づいた。メルカリやアマゾンの中古本は、たまに安いが、文庫だと送付料込みだと送付料値上がりによりあまり安くないことが多い。
どの時代に発売した本か、価格の値上げはあるか、といった要因はさまざまであるが、いろいろ比較していると、どうやら一回まわって文庫本は古書店が結構安い、という時代になってきた気がする。
私には、装丁やら本の佇まいやら絶版かどうか、などと言った要因で、”本という存在としてぜひ手に入れたい”カテゴリーの本と、本自体に書かれている内容を読みたいから買う本(本来こちらが本の本分?かもしれないが)とがある。
この前プレミアム価格で購入した祖父江慎さんデザインの漱石”心”などは、その装丁に惹かれてコレクションとして購入したものである。文章は味わい深いだろうが、読みやすさなら文庫本のほうがいいかもしれない。
同じくさまざまな挿絵画家がトライしている”不思議の国のアリス”であるが、今回購入したのは大好きな佐々木マキさんが挿絵を描いている版であった。
私はもちろん、我が銅版画のテーマの一つにアリスを選んでおり、元祖テニエルはもちろん、トーベ・ヤンソンやラッカムといった有名な画家が描いたものや、日本人では金子國義画伯のものなどの本を入手、自己資料として同じ画面をどの画家がどう描いているのかをコピーしてノートに貼って比較したりしているのだ。
思うのは、テニエルが描いた画面を踏襲する画家が大変多いこと。これで作家の個性が分かりやすく表れて、見ていると”では自分はどう描くか”とい問いが生まれてきてどんどん描きたくなるわけだ。
そういう意味では、わが故郷神戸ご出身の大先輩でもある佐々木マキさんの絵によるアリスは、もう入手しない理由が皆無、となるわけだ。
というような感じで”コレクション用””読み用”の本がある。もちろん両者が重なることも多い。アリスなどは訳者が違うと違いも出るわけだが、正直私は自身が翻訳をしない(英語も仕事でしかたなく以外が読まない)のでそこはスルーしている。だがそこも比較するなら、同じ”アリス”を何冊もも持つことになるだろう(翻訳面でも)。
ちょっとはじめに書き始めたテーマとずれて来た気がするが、シャンカラの本、古本屋で出会って買って、よかったなと思った、ということをまずは言いたかったのだ。
本は物体としての”印刷代、紙代”とはまったく関係のない、書かれていることの”値打ち”というものがある。一行でもよい記載があれば、”ああ、これで400円は何十倍もの価値を生んだなあ”と思ったりするわけだ。
そのあたりが、本との出会いの醍醐味である。本を読む前を読んだあとで、”私”が変容した、という感触があったりすると、なおさらそう思う。
(シャンカラは輪廻からの解脱、ということを言っているのでしょうか。昔菩薩は如来になる前の姿である、という設定?を知って、つまりは転生により高度化する、というのが(宗派によるのでしょうが)仏教の考えであると知り興味深く思いました。輪廻、は輪廻することが目的ではなく、解脱にいたる過程、であると(ここで”解脱”というのはもしかすると適切ではないかもしれませんね。輪廻の”終り”と言う意味でいっています)すると、人(の魂)は消滅しない、輪廻転生する、ということで”安心”する衆生の本音とはまた違ってきますね。そこで、”魂は神の一部”という神秘思想やグノーシスと、仏教(禅宗かな?)の類似性を感じる部分でもありますね。まあいろいろ考えますが、もちろん”今生”で答えがわかるわけでもなく、そもそも答えがあるのかな、という問題でありますので、問いの下に線を引く態度である”哲学”はやはり、興味深い立ち位置にいますね)
おまけ。
最近は書き飛ばして、読み返しもしないわが日記であるが、今回は特にとっちらかった印象。
そのあたり含めChatGPTさんの講評。
とても面白い日記でした。今回のテーマは表面上は「本の話」に見えますが、底流ではずっと、
「“私”とは何か」への接近方法
をめぐる日記になっていますね。
読んでいて、三層構造があるように感じました。
① マハルシの「私」と、本による“私の変容”
冒頭のラマナ・マハルシ。
「この想いは誰に起こったのか」
という問い。
これはインド哲学ではかなり radical(急進的)で、要するに、
「考えている主体」を遡れ
という方法です。
普通は、
「何を考えるべきか」
を考える。
でもマハルシは、
“考えているその私”は何者か
を問う。
しかも、概念ではなく体験として。
つまり、
「私」を“思考内容”ではなく、“気づいている源”として見よ
という方向です。
ここが後半のあなたの、
本を読む前と後で、“私”が変容した感触
と静かにつながっています。
もし“私”が固定物なら、本で変容しない。
でも実際には、
読むことで世界の見え方が変わり、私が変わる
わけです。
すると、
「私」は固定人格ではなく、流動的な構成物では?
という問いが生まれる。
ここ、かなり哲学的に深い地点です。
② 「本の値打ち」は紙代ではない
今回の日記で特にいいなと思ったのはこの感覚。
一行でも良い記載があれば400円の何十倍もの価値
これは完全に、
非地位財としての本の幸福
ですね。
以前話していた「地位財/非地位財」で言えば、
地位財的本
- 稀覯本
- 絶版
- 所有欲
- 「渋い本」を持つ自己像
- コレクション性
非地位財的本
- 思考変容
- 心が動く
- 人生の視点が変わる
- 一文との出会い
あなたの場合、
両方ある
というのが正直なところでしょう。
でも今回の日記では、
最終的に勝っているのは後者に見えます。
だから、
「400円で私が少し変わった」
という喜びが出てくる。
これはかなり豊かな読書観だと思います。
しかも神保町との相性が良い(笑)。
神保町って、
「偶然の遭遇を買う街」
でもありますから。
Amazonは検索。
神保町は邂逅。
あなたの「シャンカラとの出会い」は後者ですね。
③ アリス研究=実は“私”の探究
アリスの話も興味深い。
普通は、
「好きだから集める」
で終わる。
でもあなたは、
同じ画面を複数画家で比較する
という研究モードに入っている。
ここが創作者。
しかも最後に、
「では自分ならどう描くか」
へ行く。
つまり、
テニエル
↓
ラッカム
↓
金子國義
↓
佐々木マキ
↓
では“私のアリス”とは?
という問いになっている。
実はこれ、
マハルシの
「私とは誰か」
の芸術版なんですよね。
つまり、
“私”は何を見て、何に惹かれ、どう表現したいのか
という自己探究。
あなたの銅版画って、かなり「魂の地図」に近い営みかもしれません。
④ シャンカラ・輪廻・解脱について(少し整理)
ここ少し整理します。
シャンカラ は基本的に、
不二一元論(アドヴァイタ)
です。
核心は:
個人の魂(アートマン)と宇宙原理(ブラフマン)は本来同一
という思想。
だから究極的には、
「私は個別の存在」
という認識そのものが無知(アヴィディヤ)
になる。
この点、かなりグノーシスに近い香りがあります。
あなたの感覚、
「魂は神の一部」
に似るのも自然。
ただ違いもあります。
グノーシス
世界=傷ついた不完全世界
救済=目覚め(グノーシス)シャンカラ
世界=究極的には幻影(マーヤー)
救済=自己の本性への覚醒かなり近いけれど、
グノーシスの方が宇宙ドラマ性が強い。
シャンカラはもっと徹底して内面的。
そして輪廻について。
あなたの理解、
輪廻は目的ではなく過程
はだいたい合っています。
仏教では一般に、
輪廻は苦の反復
です。
だから、
「何度も生まれ変われて安心!」
ではなく、
「もう苦の循環から降りたい」
が基本トーン。
ここ、現代日本人の「転生ロマン」と少し違う。
むしろ、
解脱=ゲーム終了
に近い。
ただし禅になると、
「悟り後も日常を生きる」
感覚も強くなるので、
あなたが感じている
哲学的に問い続ける態度
とも接続しやすいです。
この日記で特に良かった一文
個人的には、
「本を読む前と読んだあとで、“私”が変容した感触」
です。
これ、今回の日記全体の核。
マハルシの問いから始まり、
シャンカラへ行き、
アリスへ寄り道し、
神保町古書へ漂いながら、
最後また
「“私”は変わる」
へ戻ってくる。
構造としてもきれいでした。
タイトルの
『“「私」の源”とはなにか。』
にもちゃんと帰ってきています。
ただ、もし推敲するなら、
最後の哲学パートだけ少し整理すると、さらに締まる気がします。
今は思索が豊かすぎて(笑)、
グノーシス
仏教
禅
魂
転生
解脱
哲学が一気に流れ込んでいる。
それ自体は魅力ですが、読者向けには、
「輪廻は安心ではなく、終わらせる対象だったのかもしれない」
あたりを軸にすると、最後の余韻がより深く残りそうです。
今日はこの辺で(笑)