夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

真実の言葉。

ジュンク堂で立ち読み。

赤場末吉画集から。満州で育った末吉が日本に帰ってきて、都営住宅の小さな庭には、花を植えて子供たちを遊ばせたという。

子供は花について特になにも言うことはないけれど、そこで遊んだということが大事なのです。

というようなことを末吉は述べている(立ち読みなのでうろ覚えだが)。

環境、というもの、周りにあるモノ、事を子供である時期の人間は体全体で感じている、というようなことを言っているのだ、そしてそれは真実の実感である。

近くの図書館で週刊ダイヤモンドを読む。本のデジタル化に関する特集。そのなかで内田樹さんが、

出版界は、読みやすい、口当たりの良いものを今この瞬間に購入する層ばかりを相手にしていると、本を読む層というのは将来的にジリ貧である、人は皆初めて接するのは家にある蔵書であったり、図書館の本であったりを無料にて、である。こうした初めて接する層が本というものを好きになり将来的に本を購入する層にする、ということを意識した本を出版すべきである、というようなことを述べておられた。

これまた図書館での座り読みのうろ覚えなので正確ではないが。

これを読んで(また)池田晶子さんが述べられていたことを思い出した。新・考えるヒント P.44 ”読者”の項である。

たぶん”ソフィの世界”が売れたことに関連して、NHKのディレクターから池田さんに電話がかかる。

”「哲学ブームについて意見が聞きたい」”

この時点で”ブブー”である。池田さんはたぶん”ピクリ”となる。

”「哲学がブームになるわけがない」”

池田さんは言い放つ。わかって言っている。NHKという公共の放送を担い、視聴者に伝える立場であるディレクターの立ち位置、矜持を問うのだ。

あなたは間違っている。

或いは

あなたは視聴者をなめている。

”なぜ哲学がわかりやすい必要があるのですか”

わかりやすい=オレは愚民より「わかっている」。「わかっている」オレが「わかってない」愚民に教えてやる。

わかりやすい、の語の背後にある考え方はこうだ。そこを鋭く池田さんは突く。

”あなたは、ジャーナリストとして、なぜそんなふうに読者というものを見くだしているのですか”

オレはわかっている。愚民を啓蒙してやる、という姿勢は、すぐにわからずとも必ず視聴者は感じる。魂で”匂いを嗅ぐ”といってもいい。

そんな放送は視聴者は必ず飽きる。読者も同様だ。

”売れなければしょうがないというのが、きょうびの一般的な書き手と作り手に共通の前提であるらしい。そうして彼らは、そうした読み手を想定した言葉を作り出しては、売りにかかる。しかし読み手は、彼らが想定するような馬鹿ではないから、こんな言葉は読んでもしょうがないと思う。すぐに飽きる。そして言葉への信頼を失う。書物はいよいよ売れなくなって、書き手と作り手はいよいよ安い言葉を売りに出すようになる。”

これは前のところで、内田さんがおっしゃっていることと同じことだ。言葉の絶対的な価値、池田さんのおっしゃる”言葉それ自体が価値なのだ”という認識があるのかないのか。

本を読む人間の目というものは実は確かなものだ。絵、でも同じかもしれない。歴史の選択を経て残るものにはなにがしかの真実や価値がある。古典に触れたり、名画(ベタな感じの言葉ではあるが)に触れたりしたときに、人が感じるのはその文章や絵自体の価値に加えて、それを選び取ってきた歴史の、人間の衆としての叡智である。

そして人類がなにを叡智と見なして、結果として残して来たのか。それを学ぶことで自ら接する世代の新たな叡智が選び取られ、残されてゆく。そんな繰り返しである。

そしてそのように残されてゆくであろう叡智が赤羽さんや、内田さんや、池田さんの言葉のなかに含まれているのを感じる。

池田さんは自らが真実の言葉を述べているということを端的な事実として述べ、その直裁性がちょっとなかなか言い訳ばかりのこの”日本語”の中で屹立し、はげしく爽快であったり、池田さんの”めんどくさがり”を感じてたまらないのだが、同じく歴史に残るような叡智を村上春樹のインタビュー集から感じた。

”僕のいちばん大きな関心は、今のところ、より優れた、大きな作品を書くことにあります。そしてお金で買うことのできるもっとも素晴らしいものは、時間と自由である、というのが僕の昔から変わらない信念です。”

      「夢を見るために毎朝僕はめざめるのです」より

人が、金を稼ぐ目的は?僕は生きるためにたべる、君は食べるために生きるのか。池田さんはソクラテスにそう語らせることで問いかけられた。生きるということを人は選ぶわけではない。自らの意思ではなく生まれてくる。しかし生まれている、生きている、ということに自覚的であるべきではないか。この生きているという宇宙のなかでも奇跡的な出来事に。

優れたものを残すために、人は時間と自由が必要で、そのために人はカネを稼がねばならない。たべる、ということは稼ぐ、ということと同義となる。

この村上春樹の言葉に、深く納得する。そこにあるのは読者をなめていない姿勢だ。すこしでも良い言葉を、伝え読んでもらいたい、という真実の意思だ。

生きること、目覚め働くことが、夢を見ることと同義である。村上氏の著書のタイトルはそのようなことを述べている。生きるということの価値を、これほどまでに。

僕も、夢をみるように、考えたい。