大相撲の野球賭博が話題になっている。
新聞を見ると、コラムの論者は怒っている。
大相撲の古い体質での不祥事の頻発に、”少年ファンの夢を壊した”ということでけしからん、と。
暴力団の資金源になる法違反の賭博は勿論いけないことなのだが、僕はいつもそれよりも、”新聞社のヒト”の余りの正しさが気になって仕方がない。
思えば昔からそうだった。僕自身の気持ちは、”まあ、そんなこともあるやね”。自分にもヒトにも甘い、と言われ続けてきた。自分でもそうだなあと思うのだからそうなのだろう。
しかし、”新聞社のヒト”がこうして義憤にかられて、新聞紙上で爆発しているのを見るたび、”そんな風には思わない自分って、もしかして社会人としては・・・なのか??”と、当の話題よりそんなことばかりが気になってきた。
毅然たる態度で暴力団の誘いを断るべき、だよな・・・でも怖いことないのか?たいへんやなあ、人気商売は・・・。そんな風にしかどうしても感じられない自分は、こらあ世間では黙っとくしかないなあ。そう思ってきた。
でも、”自分は置いておいてヒトを批判することの魂への悪さ”を池田晶子さんが指摘しているのを読んで、なんとも言えずこれがいいたかったんだよな、の思いが溢れたものだ。
久しぶりにそんなことを、思い出している。