夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

早朝の効能。

今日は4時過ぎに起きてきて、こうしてPCに向かっている。

数ある早起き本にもあるとおり、又古来”早起きは三文の徳”というように、最近は早起きすることが愉しみであることが多くなった。

勿論ある程度の睡眠時間は必要である。禅寺では日没にて休み日の出で起床するのが理想であるとか。実際は4時頃起床し、掃除をしているようであるが。
早起きの良い点、それは頭の中が沈静化していることだ。前日にあったことがらが自然と渦巻く夜、頭をクリアにしてものを考えることは困難である。例えば酒を飲む。例えば数時間をボンヤリ過ごす。そんなあとでやっと訪れる静寂は、ある。しかしとにかく時間が掛かる。場合によってはコストも。

しかし、早く起きて例えば本を読む。雑念が夜の間に沈殿し、意識はすんでおり、”スーっつと”頭に入ってくる。

画家がいった藝術のミューズが降りてくる瞬間、というものも、あるいはこの時間であったのか、の思いである。

朝、シャワーをすると、頭のてっぺんが妙に熱くなっている。例えが逆かもしれないが、PCが長時間動いたあとに熱をもったような感じだ。

”夜の間、動いてくれていたんだな”

僕は頭にこう呼びかけたい気がする。夢、というのも様々な情報やそれに起因する自らの思い、というものを沈床させる機能をもしかしたらもつものやも、知れない。

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”はっきりと眼覚めて物事を考えるのが、人間の最上の娯楽だからである”
      常識について 小林秀雄 角川文庫 P.171

考えることは愉悦である。池田晶子さんもそのようにおっしゃっていたと記憶する。考えることが実は大変贅沢で娯楽である、これは学生時代、知識を詰め込み勉強、と称していたころにはなかなかわからなかった事柄だ。今、早起きをして自由に好きなことについて思いを馳せることができる。なんとまあシアワセなことであろうか。