夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

2014-01-01から1年間の記事一覧

神とはなにか。

最近私は、〈神〉のことばかり考えている。 いや本当言うと、いつだって〈神〉のことしか考えてはいないのだが、〈神〉と言ってほとんど通じたことがないので、あまり言わないだけである。 池田晶子 魂を考える P.198より「おそらく」、宇宙は、善の極と悪の…

再び、美とは何か。

美、というものについて考えている。”美”を感じるには、たぶんパワー、心あるいは魂の、パワーが必要な気がする。ということは、”美”は”生きる”にとって、本質に極めて近いところにはあるが、本質には属さないものなのであろうか。つまり、”あったら嬉しいが…

考えることと、書くこと。

小林秀雄の”本居宣長”を読んでいる。実は本は文庫本も単行本も持っているのだが、きちんと読んでいなかった。読んでも、なかなか進まなかった。 しかしこの5月に鈴屋、つまり本居宣長の住まいへゆき、これも買ってあったが読めていない”古事記伝”をパラリと…

美とはなにか。

真善美、という。その中で一番重要なのは、なんとなく真であると感じる。善、も美、も、真をベースに変容した結果、ある意味派生物と感じる。真であること=善。真を示すこと=美。といった具合に。 だから、真と比べて善や美が劣るのかというと、そうではな…

贅沢。

確信は持たぬが、意見だけは持っている人々が、彼の確信のなかに踏み込む事だけは、決して許さなかった人だ。 小林秀雄 本居宣長 P.40 新潮文庫僕らは記憶に相談して、毎日新しいものをつくっているんですよ。 小林秀雄 講演 第四巻 現代思想について 1961.…

アヴァ・ター。

アバター、ということばがある。売れに売れた3D映画で有名になった言葉で、別世界で自らの意思を載せて動かす躯体、という風な理解をされているのだと思う。もともとはヒンドゥー教の概念であり、アヴァとは”下方”、ターとは”通り過ぎる”を意味し、日本語訳…

Kindle.

Kindleを買った。 ”物が何処までも全体的一の部分として考えられるということは、働く物というものがなくなることであり、世界が静止的となることであり、現実というものがなくなることである。現実の世界は何処までも多の一でなければならない、個物と個物…

訃報。

死者について、生ける死者について、 生きる、ことについて、 ふと、考えた矢先、 谺(こだま)雄二氏の訃報を知った。 氏の著書への評が、若松氏により新聞紙上に掲載され、 僕がそれを読み記事にした、 まさにその日に。 縁、かもしれない。 氏のご冥福を…

エニグマ。

渡辺淳一氏が亡くなった。氏の名前を聞いて浮かぶのは「失楽園」「老いらくの恋」といった単語である。我が池田晶子さんならどうおっしゃるものか、などと考えていた。単純否定はされないにしろ、実践ばかりに邁進されず、ときには「色恋」というものの本質…

本。

本は、読む対象が少なければ少ないほど、そして読む回数が多ければ多いほど、よい、ということをどこかで読んだ。 ”よい”とはなにか、何にとってよいのか、ということはありますが、さしずめ僕にとっての池田晶子さんの著書群。 西郷南洲が島流しになったと…

GW.

引き続き、部屋の片づけ中。本を片付ける中、本に交じって出てくるのが、日記めいた書付けやら、新聞の切り抜きを張り付けたものやら。日記というものが、後で読み返してこんなに恥ずかしいものだとは思わなかった。まあ、このブログ?も日記のようなもので…

所有とはなにか。

人が、ものを持つ、というのは、どういうものなのだろうか。”持つ”という状態に、人は大いなるドクサをもって接しているのかもしれない、と考えている。 どういことか。 ”持つ”ということは、永続できない。だが、そこには”永続できる”、あるいは”永続させた…

普遍。

言葉は普遍だ。 こうして言葉を書く。その時、書かれる、普遍としての”ことば”は、僕のこの手を手段とし、このPCの画面、という場に”たまたま”出現しているのである。これがPCでなくば、例えば”詩”。絵筆を持てばそれは”絵”。歌として歌うこともあろう。木や…

鈴屋。

松坂城にある、本居宣長が12歳から72歳まで住んだという鈴屋を訪ねた。先般、京都を訪ねたときは、偶々であるが国学者伊藤仁斎の墓に二尊院奥で出会っており、鈴屋のほうは意識して訪ねたわけではあるが、短期間に偉大な国学者ゆかりの地を回ったような形に…

最近の言葉から。

いつからだろうか。言葉を書き留めるようになった。言葉は思われているとおりの言葉ではない、ということを初めて意識したのは、”ゲド戦記”を読んだ時だった。明確な記載は覚えていなのだが、言葉には力がある、名前には力がある、人は真の名前を伝えたとき…

入学式。

長男がなんとか大学へ合格、昨日は入学式へ。思えば遠くへ来たものだ。自分が入学(入学式の記憶はもう定かではないが)したのは、つい昨日のようだ。朝泣き叫ぶ長男を片手に抱いて、公園へ行ったのも、つい昨日のようだ。生きる、というものをどうとらえる…

書くこと、描くこと。

文章を書いたり、絵を描いたり。良く聞くのは、筆が勝手に物語を書く、という作家の言である。いや、自動書記とか、そういう類の話ではない。ないのだが、書こうという意思は確かにあり、まあ、原稿用紙を置いたり、座ったりということはあるのだろうが、そ…

「生ける死者」への手紙。

本、とはなにか。言うまでもなく、言葉が、詰まったところである。そして”古典”。年月がその真価をどうしようもなく露わにしてしまった結果、残るべくして”残ってしまった”本、それを古典と呼ぶ。当然ながら、残るべくして残ったなんらかの理由がある。古本…

言葉が”コトバ”になる。

若松英輔氏の著書、「池田晶子 不滅の哲学」を入手した。池田晶子 不滅の哲学作者: 若松英輔出版社/メーカー: トランスビュー発売日: 2013/11/10メディア: 単行本この商品を含むブログ (7件) を見る書影をご覧になって分かる通り、装幀を菊池信義氏が担当さ…

宗教とは、なにか。

命ひとつーよく生きるヒント を読んでいる。命ひとつ-よく生きるヒント (小学館101新書)作者: 大峯あきら出版社/メーカー: 小学館発売日: 2013/07/31メディア: 単行本この商品を含むブログを見るすごい、本だ。 この本に引き合わせてくださったのは、池田晶…

自分で考えよ。

昨日は、池田晶子さんの命日。いち池田ファンの繰り言を綴る本ブログをまがりなりにも運営させていただいている身としてただしき所作はなんであるか。 自分で、考えよ。 そういうことであろう。他人の生を生きているのではない。 決まった生を生きているので…

今朝引きし 鶴にまじりて 行きたるか  大峯顯

命ひとつ-よく生きるヒント (小学館101新書)作者: 大峯あきら出版社/メーカー: 小学館発売日: 2013/07/31メディア: 単行本この商品を含むブログを見る詩。言葉。生の一回性。生の不思議さ。 p.52から”詩は、人間と宇宙という無限なものとの対話です”池田晶子…

全ては、縁である。

ほとんどすべての人(含む自分)が、当たり前なのになぜかそう思っていないこと。それは自分がこうして人として生きている、というか、”生きている”ことだ。宗教的に言いたいのではない。人であることで輪廻をいいたいのでもない。単純に、真実として、いま…

再び、池田さんのこと。

風邪をひいた。最近はあまりひいたことがなかったので、結構つらい。会社があるとある意味会社に行きながら治す、という感じなのだが、考えたら会社には迷惑をかけているのかもしれない。最近は、いろいろなことばを味わう力が少しはついたかな、と思う。と…

我もまた。

我もまた 永遠のはざまに 浮かぶ雲急に寒くなって、どうも風邪をひいたようだ。 2月といえば、今年もまた、池田晶子さんの命日がやってくる。平成19年2月23日午後9時30分、腎臓がんのため逝去。享年46歳。 池田さんは亡くなったまま歳を取られず、僕はどんど…

風呂場で。

えー、パソコンが壊れました。 実は今までパソコンはすべて貰い物、今まで使用していたのもWINDOWS2000.よくわかりませんが、10年近く稼働していたものと思われます。不肖わたくし、池田晶子さんのいちファンとしては、そも池田さんが余りお好きでなかったパ…

ああ無常。

アン・ルイスが好きだった。で、タイトル。常、違い、ですが。 月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。おくのほそ道、を芭蕉が辿った年齢は45歳、元禄二年、1689年の事であった。3月末に江戸を出て、5月で平泉、8月に美濃大垣、ということなので半年…

年頭妄語。

2014年が始まった。妙に昔の事を思い出す。いや、思い出とは過去の記憶を今の自分が好きなように、今に合ったように”思い出している”という形を取った今の思いである、ということをどこかで読んだ気がする。時間が経つと昔の辛い記憶が美化される、もし…