夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

美とはなにか。

真善美、という。

その中で一番重要なのは、なんとなく真であると感じる。

善、も美、も、真をベースに変容した結果、ある意味派生物と感じる。

真であること=善。

真を示すこと=美。

といった具合に。


だから、真と比べて善や美が劣るのかというと、そうではない。むしろより魅力的でさえある。

誰に対して?


・・・それはおいておいて。


美に撃たれる、ということを考える。



美とはなんだろうか。


色と形と、意思の混淆形態、という風に感じる。



なにかを(結果的に)示し、感じさせる意思、それは別に”誰かがなにかを他者に感じさせるため”のものではない。単なる、意思。

そこに、色が、形が、図らず関与し、乗っかると、美が生まれる。


なんとはなくそのように感じた。



例えば美しい花。花の美しさ。

どちらがあるのか。


美しい景色。景色の美しさ。



美しいと感じる人のこころは、また美しくなっているのだろうか。美に染められるのだろうか。


女性の美しさを感じるのは、DNAの所為なのか。種族保存の本能?そのことが良いも悪いもないが、”本能”という語を冠すと、自らの意思ではない、不可抗力の感が芽生える。

そうなると純粋性が減じる感じがする。


どうなのか。美は美としてのみあることはできないのか。


いつも所有職、征服欲と隣り合わせでしかありえないものなのだろうか。



ロマンチスト、と莫迦にされようが、そうではない美、があってもよい気がする。そんな美を、感じてみたい、と思っている。