確信は持たぬが、意見だけは持っている人々が、彼の確信のなかに踏み込む事だけは、決して許さなかった人だ。
僕らは記憶に相談して、毎日新しいものをつくっているんですよ。
小林秀雄 講演 第四巻 現代思想について 1961.8.15
Kindleを買ったのだが、全ての本がそれで読めるわけではない。ただ所謂”古典”と呼ばれる書物で、読んだことがないものが、”無料”で読めるのはありがたい。
先日は、オマル・ハイヤムの”ルバイヤート”を読んだ。
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- 作者: オマルハイヤーム
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この本が、ラファエル前派によって再発見されたことを知った。彼らが、生きることを見据えて絵を描いていたことを、間接的に示すエピソードだろう。
なんだか文学史でタイトルは知ってはいるが、読んだことはないし、例えばブックオフの105円(いまは108円?)コーナでもあまり見かけたことはない。そんな本がけっこうある。
無理して読む必要は、あるいはないのかもしれない。そも、”必要”とはなんだろうか。自らの思想を練り上げる。そのための”必要”?本当にそうか??
よき書に巡り合うこと。それが”必要”なのか、そうではないのかはもはや自分にとってどうでもいいことなのかもしれないが、ああ、この本を読んでよかった、という思いをうれしく持つことは嬉しいことだ。そしてそんな本に出合うことができる割合が高いのは、やはり古典、と呼ばれるものをきちんと読めたときであろう。
考えてみればあたりまえのことだ。今生きている人間が書いた本は、今までにあった本の微細な一部なのだ。存命の素晴らしい人の人数は、これまでに出た偉人のほんの一部に過ぎない。
新しい考えは、あるいは現状を機敏に把握するには便利かもしれないが、そもそも本質的にそのことは必要なのだろうか。
実はみんな気付いているのかもしれない。だから本(新刊)は売れず、ハウツー本や実務書と呼ばれる情報に流れる。
だが年月による批判を経て今に残る古典。そこには人類にとって必要ななにかが含まれているのだろう。だから、残ったのである。
池田さんも繰り返しおっしゃった。古典を読め、と。小林秀雄も言っている。原典に当たれ、と。だれかの注釈ではなく。
ただ、現実問題として古典に接するのは文庫本になるケースが多いだろう。例えば岩波文庫。最近の大きな字になれた眼にはけっこうきついものだ。例えばこの本。
- 作者: 倉野憲司,本居宣長
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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活字が、何種類かあるのだが、あるものはたいへんに小さい。読んでみると、目が痛くなってくる。
KINDLEでこの本は現在は読めないが、字の大きさが自由に変えられるのは、実はけっこうありがたい機能かもしれない。
幸いまだ字はなんとか読めるのだが、あまり短期間にたくさん読むと、目が痛くなってくる。そういう意味では、KINDLEとは本とは別ものだと割り切れば自分にとってはよいものなのかもしれない。
とはいっても、やはり紙の本は安心する。重いのだが、いまは以下の2冊を鞄に入れている。
- 作者: 池田晶子
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- 作者: 小林秀雄,国民文化研究会,新潮社
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言葉、とは紙に印刷した印字ではない。それを読むことで、書いた人の思いに触れる。魂に触れる。魂の一部あるいは、再生、というものかもしれないが。
そんな感覚が最近の僕を襲う。その感覚からすれば、鞄に池田さんと小林秀雄の魂にひそんでもらっている感さえある。
電車で紐解く。場面場面で紐解く。たちまちに出会う。小林に、そして池田さんに。
なんともはや、贅沢だ。
旧版の”事象そのものへ!”で見る”著者近影”の池田さん、若いころの池田さんなのだが、なんともはや美しい。絶版であるこの本に接することは、もう難しいのかもしれないが、特記しておきたい。
美しい花がある。花の美しさというものはない。
小林秀雄の有名な言葉だが(記憶で書くので正確かは不明)、池田さんの姿を拝見すると、なんとはなしにそのような語句が立ち上って来る。人の美しさ、というものはなんだろうか。
花と同じように、それは移り変わるものだ。だが、それはその瞬間には永遠である。永続する、という意味ではないが、永遠につながるもの。
その感覚がプラトンのいう”イデア”なのかもしれない。勝手にそう、思っている。
そして小林の生涯を写真で巡るこの本。研ぎ澄ました抜き身の剣のような鋭さを、若い時の小林の風貌から感じた。
- 出版社/メーカー: 新潮社
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前述の”ルバイヤート”、これは読後感が意外にも池田さんや小林の本を読んだときのものに共通している。要は生の真実に触れているのだ、たぶん。それにふれると、人はそのことがわかる。だから古典として残る、あるいは復活する。
人は自ら望んで生まれるわけではない。生の意味はだから別にない。2つの出口、生まれて、死ぬ。そこだけは残酷にすべての生に共通だ。
そのことに自覚的になることは、実は少ない。たぶん、ほっておけば余り考えることなく死に臨むことになるのだろう。
人が”そう思いたい”生、というものは実はそういうことにしているだけだ。例えば”貨幣”。ルールに則った、ルールが崩壊すれば単なる物質となるもの。
それを見て考え込むのは痴呆の始まりではない。そういう人もあるだろうが。そういうことにしている生、に対して目が開いたことなのだ。開いて、別に嬉しいわけでもないし、偉いわけでもないが。
そうそう、ひさしぶりにこのマンガを再読。今の世代には間違いなく”古典”であろう。それがたまたままだ連載されているだけの。リアルタイムで読んでいる身には、その感覚は想像するしかないが。
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いやあ、最新刊が2006年ですか。結構経っているなあ。このマンガの登場人物のつぶやき、これがけっこう字が小さいことに気がついた(苦笑)。
ぶつ切りのエピソードたち。作者は”おとぎ話”というのだが、けっこう肌触りとしては、”古事記”あたりと近い。もしかすると真の”古典”として後の世代に残るのかもしれない。その時は登場人物の”つぶやき”、どーでもいいことが書いてあり、くすり、と笑うところなのだが、これが真面目に解説されることになったり、するのだろうか。
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