夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

書くこと、描くこと。

文章を書いたり、絵を描いたり。

良く聞くのは、筆が勝手に物語を書く、という作家の言である。

いや、自動書記とか、そういう類の話ではない。ないのだが、書こうという意思は確かにあり、まあ、原稿用紙を置いたり、座ったりということはあるのだろうが、そのあとは、書き続ける物語が勝手に次を自らの手を使って紡ぎだす、ということらしい。

憶えているところでは、故栗本薫氏がかの世界最長の物語である”グイン・サーガ”を書かれるに関して述べられたものだ。あの豹頭の戦士の物語、頭が豹、というだけで、なぜあんなに好きになったのか。人間の頭ではだめだった。マスク、でもだめだ。まあ、タイガーマスクは大好きであったのだが。

そして敬愛するギュスターブ・モローの作品に、ミューズ(ムーサ)が眠れるヘシオドスの額に口づけする作品がある(ヘシオドスとムーサ1858年)。

よく覚えていないが、この作品については前にもこのブログで取り上げているかもしれない。僕がいつも思い出すのは、1958年のこの作品だが、画家は先行して前年にヘシオドスに赴くムーサの姿も描いている。

ヘシオドスは古代ギリシャ叙事詩人である。ヘリコン山の麓で羊の世話をしている時に、芸術の女神であるムーサの祝福を受ける場面、これを画家は気に入り、さまざまな絵を残している。
この後、ヘシオドスは詩作の道に入るのである。

詩、である。女神、である。眠れる牧童への啓示である。ヘシオドスはその後ギリシャを代表する詩人となる。そしてそのことを絵にするモローもまた。

モローは啓示を得て詩を紡ぐこととなる詩人の姿を絵にすることで、自らの画業についての思いを述べているのである。

そう、”我が画業もまた詩神たるムーサの啓示とおなじ源泉より取り出され示されるもの。そこには”私”はない。”書こう”もない、”描こう”もない。ただ、我が手を経て示されるのみ”。

そんな画家の思いを、感じるのである。

真実は、本質は、そうである。そういうものである。


誰の口から、手から、示されるのでもいい。
それが、”誰の手で”というところに人は囚われている。捉われすぎている。

本質は、誰がいうのかは関係がない。大峯顯氏は述べる。詠み人知らずの歌がある。作者は自らがその歌の作者である、と顕在することを欲していない、と。詩の世界、その中で詩としてある、在り続ける、そんな歌をただ歌うことを欲したのみである、と。

そして池田晶子は言う。私は巫女である、と。私の口を通して示されるのは神の声=真実である。本質である、と。

自分が巫女である、ということをおっしゃっていたのではない。僕は長らく誤解をしていた。そうではなく、言うこのこと、そのことについておっしゃっていたのである。

驚くべきことに、真実はそれを、池田晶子が述べても、小林秀雄が述べても、埴谷雄高が述べても、おんなじである。なんと僕が述べても同じなのである。

僭越だが、僭越ではない。真実とは、そういうものだ。

モローもまた、そのことを述べようとしている。


書くとは、描くとは何か。

僕のなかでの、答えがない、そして始めから答えとしてある、大切な問い、の一つである。

このブログ、下書きをしたり、どこかにメモしたことをもとに書こう、とすると、書けない。書く、ではなく、”写す”になると、楽しく、ない。

なんなのか、これは。

絵、もそうだ。こういうものを描こう、と呻吟、というか悶絶、というか、してもダメだ。なんだかヘンテコなものが、”描くために”描いたものが、できる。

あ、これは、”金のために書く”、と池田さんがおっしゃっていたものと同じだ。

そう気がついた。職業として書くことは、実は金のために書くことと同じであるようで、実はまったく違う。

怖いもので、それは年月が審判する。人の魂が、と言ってもいいかもしれない。人は、それを感じる。なんのために書かれたものか。どんな風に描かれたものか。

そこに”これで対価を得よう”という思いがあると、結果として書かれたもの、描かれたものが、敢えて強い表現をすれば”穢れる”。

詩、というもの、それをいまほとんどの人が、”歌の歌詞”として見ている気がする。詩のもつ、真実が詩人の口を通して出てくる、という畏れににた尊敬、それを人はいつしか忘れてしまった。

”詩”を読む、ということが廃れたように見えるのも、そういうことがあるのだろう。

ヘシオドスがなった”詩人”はそうではない。ムーサは、彼を、真実を語る口として、選び、祝福したのだ。そこにヘシオドス個人はない。いってしまえば道具だ。”幸せな道具”。奉仕、という言葉の一番初めの姿。

詩、とは、短い、凝縮された言葉で、真実を伝えることだ。突きつける、ことだ。形式は、関係ない。

そういう意味では、小林秀雄は詩人であった。自らのスタイル、評論という文体を以て詩を紡いだ、と言えるだろう。そして我が池田晶子さんもまた。

あれこそが詩、ムーサに祝福される以前、祝福されるまえから神の口を持っていること。それが巫女だ。

詩人、真実に憧れ口にする、という意味では菩薩、といってもいいかもしれない、これも大峯顯氏が池田さんに伝えたことであるが。


そんなことをつらつら考える。幸せな、気がする。