夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

実現。

「絵画」における「実現(エクゼキュシオン)」とは、画家の夢想と着想を現実化することである。あらゆる美しい作品において、道具などというものは例外なく、思惟や感情の忠実なる従僕なのだ。

 ギュスターブ・モロー 夢を集める人 より

ギュスターヴ・モロー―「自作を語る画文集」夢を集める人

ギュスターヴ・モロー―「自作を語る画文集」夢を集める人

絵画、絵を描くこと、において、画家によりその画法は様々なのであろうが、自らの描く傾向が近い絵に、惹かれることはあると思う。

モローの作品に妙に惹かれ続けたが、画家自身がその製作姿勢を書いたこの言葉で、理由を教えられた気がした。

これはモローのように自らの夢、眠れるヘシオドスの額に接吻するムーサによってもたらされる夢、を実現しようとする画家にとって顕著だが、実はこれは全ての画家に共通であろう。

風景画しかり。人物画もまたしかり。

要は何を描きたいか、だ。

それがモローのように前景化しているか、心の奥底で描く、ことの原動力となっているのか、は別としても。

何を、描きたいのか、は実は結果であって、何故、描きたいのか、だ。

これは、生きること、とも共通する。

どう、生きたいか、は、何故、生きたいかを考えたあとに来る。

なぜか、生まれたからには死ぬまで生きる。

何のために生きるのか。食べる、ためか。楽しむ、為か。


それは結果としてあることだ。

善く、あること。善く、生きること。


そのために食べ、楽しみ、知り、動く。


描く、ことがそこに直結して在る画家の絵はだから、力強い。

そんな絵に、惹かれるのである。



それはその画家の、生き方、生きる理由を、示しているのだから。


ギュスターブ・モロー ヘシオドスとムーサ(1958年)