「絵画」における「実現(エクゼキュシオン)」とは、画家の夢想と着想を現実化することである。あらゆる美しい作品において、道具などというものは例外なく、思惟や感情の忠実なる従僕なのだ。
ギュスターブ・モロー 夢を集める人 より
- 作者: ギュスターヴモロー,Gustave Moreau,藤田尊潮
- 出版社/メーカー: 八坂書房
- 発売日: 2007/02/01
- メディア: 単行本
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絵画、絵を描くこと、において、画家によりその画法は様々なのであろうが、自らの描く傾向が近い絵に、惹かれることはあると思う。
モローの作品に妙に惹かれ続けたが、画家自身がその製作姿勢を書いたこの言葉で、理由を教えられた気がした。
これはモローのように自らの夢、眠れるヘシオドスの額に接吻するムーサによってもたらされる夢、を実現しようとする画家にとって顕著だが、実はこれは全ての画家に共通であろう。
風景画しかり。人物画もまたしかり。
要は何を描きたいか、だ。
それがモローのように前景化しているか、心の奥底で描く、ことの原動力となっているのか、は別としても。
何を、描きたいのか、は実は結果であって、何故、描きたいのか、だ。
これは、生きること、とも共通する。
どう、生きたいか、は、何故、生きたいかを考えたあとに来る。
なぜか、生まれたからには死ぬまで生きる。
何のために生きるのか。食べる、ためか。楽しむ、為か。
それは結果としてあることだ。
善く、あること。善く、生きること。
そのために食べ、楽しみ、知り、動く。
描く、ことがそこに直結して在る画家の絵はだから、力強い。
そんな絵に、惹かれるのである。
それはその画家の、生き方、生きる理由を、示しているのだから。
ギュスターブ・モロー ヘシオドスとムーサ(1958年)