夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

芸術年齢。

横尾忠則氏の「死なないつもり 80歳の熱き人生と創作」(ポプラ新書)を読んでいたら、氏が「芸術年齢」というものを提唱されていた。

 

芸術年齢とは、芸術作品を作るときに自らイメージしている自分の年齢のことで、実年齢とは別のものです。長い間自分の芸術人生はずっと五〇歳だと思ってきました。
同書 53%(電子書籍

横尾氏はずっと画家かと思っていたのだが、45歳で「画家に転向」されたという。その前はデザイナー、ということだろうか。転向して5年目のイメージという。

 

実は私も版画を始めて5年位にになる。2016年に新宿の蒲地清爾先生が主宰される銅夢版画工房の門をたたいたのだ。

 

そういう意味では、5年経ったころの横尾氏のイメージを想像してみることができる。もちろん本職の横尾氏と、サラリーマンをやりながらの私とは密度も覚悟も断然違うのだろうが。

 

だが、なんとなくだが、いろいろな展示を見たり、同じく版画をやっているプロの方と接したりすると、イメージが少しは沸いてくる。そしてグループ展を通してわが作品をご購入頂く、という稀有の体験を経ると、なんというか、すこしは作品に責任を持たねば、という気持ちも沸いてくる。

 

そうではあるが、自身の芸術年齢の感覚は、たぶん18歳くらいだろう。18歳で高校を卒業するとき、有志のみで作った卒業文集に絵物語的なものを掲載した。大学受験でホテルに泊まった際、備え付けのメモ帳に描きつけたイラスト、これはほとんど今のものと変わらない。

 

それから幾歳月、というところだが、絵を描きたいがうまくかけない、どの手法で描くべきか、というところでずっと逡巡していたのだが、版画に出会って、これかもしれない、と初めて思ったのだ。

 

版画といってもいろいろあるのだが、銅版画、に惹かれたのだ。わかりやすくいうと、デューラーをイメージいただくといいだろうか。あれは実は木版であるが。

 

銅版画(あるいは小口木版)はもちろん多色のものがあるのだが、基本は細い一本の線で構成されるものだ。そこがいい。昔から、細かい線の絵が好きだった。

 

デューラーの繊細で美麗で壮大な絵には及ぶべくもないが、同じく線で絵を描こうとしている点は、その思いは、すごく近くに感じるのだ。

 

頭に浮かぶ、幻想を、なんとか線で表したい。画力がついていかないが、なんとか肉薄したい、という気もちだけはもち続けたい。

 

そんな気持ちでいる。そしてそんな気持ちでいることは、とても楽しいのだ。

 

そういう意味ではやはり私の芸術年齢は18歳だろうか。いや、たぶん、いわゆる「中2」の気分がより正確だろう。あの痛くて、切ない、あくがれ。その残念で愛しい気分でいまも、絵を描いている。

 

(いやあ、14歳くらいが一番いろいろ面倒ですが、切ないですよね・・)

死なないつもり (ポプラ新書)