夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

エニグマ。

渡辺淳一氏が亡くなった。

氏の名前を聞いて浮かぶのは「失楽園」「老いらくの恋」といった単語である。我が池田晶子さんならどうおっしゃるものか、などと考えていた。単純否定はされないにしろ、実践ばかりに邁進されず、ときには「色恋」というものの本質を身体だけではなく精神でも考えてはいかがですか、というようなことを、”私とは身体である”、と逆説的におっしゃたのと同じ文脈でおっしゃるような気がしていた。

だが亡くなったことを報じる新聞(破棄してしまったのでうろ覚えだが)を読んで引っかかった。歳を取っても恋をしよう、ということを単におっしゃりたいだけではないのではないか。

そう思ったのである。


ファム・ファタールという言葉がある。運命の女、などと訳すのだろうか。その人と関わったことで、自らの運命が大きく変わったことが、あとでしみじみ実感できる。そのような女(ひと)のことだと感じている。

運命を大きく変える。狂わされる。


変えられる。受動態として。


渡辺氏は高校時代に、同級生の女性徒に誘惑され、その後その女性は自殺したという。

渡辺氏は、この女性により、生涯聖痕(エニグマ)を魂に刻印されたのではないだろうか。


死した女性との会話を、答えを、あったかもしれないその後を、ずっと考えていたのではないか。それゆえの、あの著作群ではないのだろうか。



そう思ったのである。




本日の読売新聞読書欄に若松英輔氏が紹介している本がある。ハンセン病患者である谺(こだま)雄二氏の著作”死ぬふりだけでやめとけや”である。

死ぬふりだけでやめとけや 谺雄二詩文集

死ぬふりだけでやめとけや 谺雄二詩文集

若松氏は書く。

”一貫して谺は、「ハンセン病」ではなく、あえて「らい」と書く。”

”「谺雄二」という筆名にも彼の悲願が詰まっている。そこには同じ病を生き、一九歳で亡くなった兄への思いがある。兄には児玉という姓の恋人がいた。だが、病のためにその恋愛は成就しない。彼はついに戸籍上の名前も「谺雄二」に改め、どこまでも「生きている死者」となった兄と共に生きようとする。”

当事者故自らの病を”差別語”とされる語で呼ぶことができる。言葉を変えて取り巻く風景や歴史も葬ろうとする思惑に対抗することができる。
そして病の差別で成し遂げられず早世した兄の、その恋人の名に戸籍まで変えて一体化する。

ここでは、あえてファム・ファタールを作ろう、取り込もうとする作用がある。


現代は、恋愛を礼賛する。礼賛まではないときも、少なくとも肯定する。だが、古代、恋する姿がどうも見苦しいもの、とされていたようだ。いわゆる動物的な”発情期”、どうしようもないが、美しいものではない。僕も私も、勿論当事者だが。そんな感じだろうか。


路上で交尾する犬を見たときのなんともいたたまれぬ思い、それはあるいは”あの姿は私である”とつきつけられるからなのだろうか。

犬は、私である。


渡辺しはしかし、その”犬である私”を否定も肯定もせず、いや、聖痕故にできず、生涯かけて問い続けたのでは、ないのだろうか。


今日、風呂に入っていて、ふと、そう思ったのである。


「老いらく」。すでに歳をとってもなお、という過剰の響きをその語に含む言葉だ。その語を使うことが許されるのは、自らが”老い”のなかにいるものだけだ。そう、ハンセン病をらいと言えるのが、当事者だけであるが如く。