我もまた 永遠のはざまに 浮かぶ雲
急に寒くなって、どうも風邪をひいたようだ。
2月といえば、今年もまた、池田晶子さんの命日がやってくる。
平成19年2月23日午後9時30分、腎臓がんのため逝去。享年46歳。
池田さんは亡くなったまま歳を取られず、僕はどんどん歳を取る。
馬齢、という言葉が浮かぶ。
思えば馬には失礼な言葉だ。本当は”人齢”とでもいうべきだろうが、人に人の比喩を使っても、比喩にはならないのだから仕方ないか。
なんとまあ、池田さんが亡くなってから何年になるのか。今年は平成26年、ということは9年目にはいることになるのか。
9年。。
目のくらむ思いがする。ご存命のころは仰ぎ見るだけでのうのうと過ごしてきたが、考えたらなんとお若い時から、素晴らしい言葉をものにされてきたのだろう。
”ものにする”。
どこかでこの言葉を使われていた気がする。小林秀雄への紙面恋文で、だったかもしれない。
この言葉をつかうということは、視線は高きを向いていることの証左だと思う。人のためになにかをする、という思いのあることの。
人は残った人に忘れ去られたとき、本当に死す、という。
逆に言えば、人に憶えられて居続けることで、”死ぬことはない”のかもしれない。
”永遠に生きる”
中国の皇帝が求めた不老不死、実は身近にこうしてあったのかもしれない。
池田さんのことは、その永遠を文章に結晶化してこの世に”授け”られた、あるいは”哲学の巫女”として文章という言葉にてわれわれに伝えてくださった、決して膨大ではないが、しかし少なくはない言葉たちによって、忘れられることはないだろう。
真実は誰が述べたかは関係がなく真実である。
あるいは、私が述べるのではない、真実がおのずから話すのだ。
”自分の”意見だ、と固執する魂のなんと卑しいことか。
真実を語れば、それでいいではないか。
”巫女”と称された思いと理由は、たぶんそんなところからだろう、と感じている。
言葉というものへの深い理解と、1000年を一瞬で見渡す知恵、宇宙大の”象徴的な”第3の眼をよなよなSPIRITで宇宙に飛翔させて描かれ紡ぎだした文章群。
剄い、魂をお持ちだったと思う。
こうして池田さんのことを思うままに書かせていただくこと、これが僕が池田さんを偲ぶまあ”お作法”であるのだが、思えばほとんどこのブログ、ベースは毎日それかもしれない。
いわば”毎日命日”。
”毎日かあさん”というマンガ、あったように思う。かあさんをやるのは毎日だ、という、ちょっと深いネーミングかもしれない。それとコンセプト?は同じ??
・・・・こうして池田さんのことを書き出したのも、たぶん寒さが一つのきっかけであろう。
私見だが、なくなる直前まで原稿を酸素吸入機をつかって書かれたという池田さんの、最後あるいは最後に近い文章は、温泉宿のことであったと思っている。
寒さが苦手だった池田さん。雪国の温泉宿のことを遥けく思っていらっしゃったのだと、思っている。
その思いをこの寒さのなかで共有する。
2月に。
ということなのである。
若いころの池田さんの眼。真実を射抜く、この眼光。
素晴らしいとしかいいようがない。
齢を取られてからのあの笑顔もまた、まさに観音、なのだが。