夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

2013-01-01から1年間の記事一覧

澁澤龍彦の絶筆。

えー、昔話を一つ。 高校生のころ、大学に入ると、学部によって人生がほぼ決まる、という認識だった。そうでは無い生き方、というのも勿論あろうが、この僕の性格を僕が本音で見てみたとき、僕はそうなるタイプだろう、というのが、僕の僕への、見立て、だっ…

実現。

「絵画」における「実現(エクゼキュシオン)」とは、画家の夢想と着想を現実化することである。あらゆる美しい作品において、道具などというものは例外なく、思惟や感情の忠実なる従僕なのだ。 ギュスターブ・モロー 夢を集める人 よりギュスターヴ・モロー…

「廃人のサラブレッド」。

仕事面でいささか精神的に疲れる感じである。そんなときには池田本を開く。ちょっと救急ブイのようだ。今回は”サンデー毎日”に連載されていた”考える日々Ⅱ”。30台後半の池田節が炸裂する、痛快な一冊。 ”精神科をしている知人に、「あなたは廃人のサラブレ…

時間。

時間とは、まっすぐ前に流れるものである、・・・と錯覚しやすい、ただ、たった今、この瞬間のことである。 これが、池田さんから僕が学んだこと。 (この通りおっしゃっているわけではありません。僕の、理解です) そしてこの瞬間のみを、僕は、私は、持っ…

存在の風景。

暑い。とはどういうことか。暑いと、頭は停止する感じになる。ただ、重力のような熱に耐える感じになる。これでは”考え”は困難だ。だが、暑いで困難になる”考え”とはなにか。必要なのか。”じっさい私には、存在の風景はそんな風に見える。しなければならない…

dog suit, cat suit.

”ウィトゲンシュタインは、どこかの断章で言っていた。 <犬の振舞を見ていると、その池田晶子 魂を考える p.67 池田さんが、ダンディ君のことを書いた文章は、僕は大好きだ。 ラッシーが好きで、コリーを飼ったというところ、ここは掛け値なく共感するとこ…

魂。

魂、ということばにより表されることは、なんともモヤッとした肌触りだが、この”ハッキリしない感”ともいうべき感じが、逆に魂、ということばのもつ広がりを担保している感じがする。人の話を聞くのは、楽しい。講演、というもの、授業、というものの本質と…

池田晶子さんの、間合い。

長く会社でお世話になった方が今週で業務を終了された。会社での生活が”生きる”ことである、とはともとより思い定めているつもりはないのではあるが、長く務めているとそもそも生活=会社、という感じにどうしてもなってしまう部分はある。池田さんがよくお…

書くこと。

信じることと、書く事。 知ることと、考えること。この4つの周りをうろうろする。PCの調子がいまいち。思えばただでいただいたもの。家電でもあるPCだが、寿命もあるのだろう。ふと気づけば、蛍光灯も貰い物。20年は使っている。 家電、とはいうが、物に魂…

年齢。

前回書いた、”捨て眼”。いわば無意識にセンサーを常時張り巡らす、という感じであろうか。 自動哨戒、とでもいうのか。日々読むものといえば新聞、カラーが当たり前になり、字とともに”絵”も楽しめるようになった。そして、前提として使い捨て、読み捨て、で…

捨て眼、捨て耳。

最近聞いて、残った言葉。”捨て眼””捨て耳”。いつも、どこにいても、意識の中に眼を開いておき、見るとはなしに見る。意識のどこかを、常にOPENにしておく。ONにしておく。そう意識することで、世の中で自分が美しい、と思うことを、心に残しておきた…

読み直すこと、書き写すこと。

毎朝、通勤時にバインダー式のノートを取り出す。100円ショップの厚紙表紙のものである。挟み込むシャーペンも100円、リフィールも100円だ。ことさら節約しているということが言いたいのではない。しかししめて300円で必要にして十分なメモが出来る機能が手に入…

テレビ三昧。

テレビを一日中見ていた。テレビというものとの付き合い、これは人が1日の、あるいは人生のエネルギーや時間、時間という名の財産をどうつかうかに大きく影響を与えるものである。”ずっと見ていては時間があっというまに過ぎてしまう”し、”眼も疲れる”。”視…

墓碑銘。

墓碑銘、というものに、特別興味があったわけではない。意識したのはやはり、池田晶子さんが亡くなったあと、「週刊新潮」に掲載されたエッセイのタイトルである。”生きているものは必ず死ぬという当たり前の謎、謎を生者に差し出して死んだ死者は、やはり謎…

病院へ。

人間ドック結果で、眼の再検査が必要となり、病院へ。結果は問題なしで一安心。眼が見えないことは、視覚型の僕としては非常に恐いことだ。ほっとした足で、熱田神宮で”宮きしめん”を食べる。屋外、まだ蚊などはいないので、リラックスできる。僕は大変蚊に…

昔と、今と。(生きる、とはなにか)

セピア色の写真を見る。撮影年月の記載のある白黒写真を見る。海外の写真を見る。 昔は、それは自分とは関係がない、という意識を前提に見ていたからか、被写体自体が暗かったり、時代の空気を暗く感じたり、ということが多かった。しかし、いつのころからか…

ユング。

GWは例によって何軒かの古本屋へ。そこで購入したこの本は、大変よろしかった。図説 ユング―自己実現と救いの心理学作者: 林道義出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 1998/06メディア: 単行本この商品を含むブログ (3件) を見るP.41”不思議な空想や夢の意…

解らないと、解らないことが、解らない。

池田晶子さんをキイワードに検索していて、池田さんがおっしゃった”解らないと、解らないことが、解らない”という意味が解らない、との質問があったのを見つけた。さもありなん(笑)。なにしろ”解らない”が3回も出てきますからね。これは確かに解りにくい…

登山。

愛と好きとは違うんだ。愛は感情じゃない。愛は好き嫌いを越えたもの、それがそこに存在することを認めるということだ。 池田晶子 14歳の君へ どう考えどう生きるか P.23人に好かれようとするよりも、人を好きになるほうが、断然面白いことだと思わないか。 …

我が肉体。

普段は人生はなんて不思議、とか、精神は大切だ、とか、池田晶子さんにならって偉そうに語っているわけだが、日々老化する肉体を直視することもまた池田さんの教えである。我は精神だ、などと思うからいけないのだ。我は肉体だ、と思え。池田さんは若い頃は…

植物たち。

春、ささやかな我が庭にも、芽吹きの季節がやってきた。この時期、庭にでるのは愉しい。 ホスタの葉が、日々大きくなる。多肉植物はいつの間にか安物のプラスティックの鉢から溢れんばかり。葉色が好きで、多数あつめたヒューケラ、結構栽培は難しく、消えて…

中原中也。

中也は、1907年4月29日、山口県に医者の長男として生まれた。 小学校ではほぼ甲。山口中学で”文学に耽りすぎて”落第。16歳で京都・立命館中学へ編入。講師の京大生と展覧会へ行く、酒を飲む。愛称は”ダダさん”。17歳、3歳年上の女優・長谷川泰子に会う。泰子…

アウトサイダー。

芋づる式に本を手にする喜び。そもそも、コリン・ウィルソンの”アウトサイダー”は内田樹氏のお薦めだった。それを読み、今度は小林秀雄がらみで河上徹太郎の”日本のアウトイダー”をこのたび購入。開いて読めば、この本はコリン・ウィルソンのアウトサイダー…

矢川澄子。

この人とは、人生の初期のころから接して来た。そう、絵本の紹介者として。子供の頃は勿論わからなかったが、その選択、翻訳には強い意志を感じる。例えばクライドルフ。花を棲みかに作者: エルンスト・クライドルフ,矢川澄子出版社/メーカー: 童話屋発売日:…

最後の対談。

これで、今生の別れかな・・・小林ぃ、生まれて初めてだ、お前にこんなにもてたのは。・・・死ぬまでに又会おう。さよならぁ。・・年取るっていうのはね、辛いもんですわね。最後の晩餐かなあ。ありゃア、来年死ぬねえ、いや、再来年くらいにしとこうか。。…

巴里の女優たち。

”居ながらにして全宇宙を回遊する意識、あそびの快楽を知る者たちは、「もうひとつの人類史」をひそやかに形成する。” 池田晶子 最後からひとりめの読者による「埴谷雄高」論 P.81生きて、うごめき、働き、果てる。そんな人生ではあるが、こうして様々な先人…

二十四の瞳。

昭和28年から29年、1年余りの時間を費やした木下恵介監督作品、”二十四の瞳”を見た。木下惠介生誕100年 「二十四の瞳」 [Blu-ray]出版社/メーカー: 松竹発売日: 2012/08/29メディア: Blu-ray クリック: 6回この商品を含むブログ (7件) を見る高峰秀子、須賀…

一は全。

”ピアニストのノート”を読んでいる。ピアニストのノート (講談社選書メチエ)作者: ヴァレリー・アファナシエフ,大野英士出版社/メーカー: 講談社発売日: 2012/12/11メディア: 単行本(ソフトカバー) クリック: 1回この商品を含むブログ (10件) を見る歯ごた…

花見に行った。

花見に行った。 この名古屋では多分この土日が満開。出来れば京都は哲学の道などへでも行きたい、と思っては居たが、新聞で見つけた往復4000円のバスツアーは4月6日だったか、たぶん散り始めではないか。それよりなにより、申し込んでもいない。しかし4000円…

夢のご先祖様ビジネス。

柄にもなく未来予想させていただく。事業提案、といってもいい。人は他人の記憶から、忘れ去られた時、真に死ぬ、という。逆に言えば、死への恐怖のある部分は、忘れ去られることへの恐怖、といえる。そしてまた、葬儀とは故人の為ならず、”そういうことにし…