暑い。
とはどういうことか。
暑いと、頭は停止する感じになる。ただ、重力のような熱に耐える感じになる。これでは”考え”は困難だ。
だが、暑いで困難になる”考え”とはなにか。必要なのか。
”じっさい私には、存在の風景はそんな風に見える。しなければならないことなんか本当は無いと、人はどこかでわかっている。だから、しなければならないことがあると、思おうとしている。しなければならないことがないなんてのは、なんだか困るからである。
(中略)
しかし、どうあがいてみても、やっぱり人生は何ものでもないのである。それ自体が暇つぶしなのである。存在が存在するということに理由がないからである。”
池田晶子 知ることより考えること p.42-43
”人生は暇つぶし”
人間はなぜ生きているか、ということに根本的に疑問を感じており、なにか理由が欲しくて、例えば”神”を考えたりする。
”神”によって作られたとすれば、すくなくとも”他者の意思”によるこの存在、だからである。或いは”本能”。自己を子孫により無限に生存させたい、という本能。
だが、それもどこか言い訳めく。結局”たまたまなんだかわからないが、生きていま、ここにいる”のである。わかりたくないが、そうなのである。
暑くて考えられない、考え、そんなものは必要ではない。
そもそも、”必要”はない。
わかった上でも、しかしこの”暑い”、そして”人生のあれやこれや”。
なやみ、焦燥に駆られ、懊悩する。
そうなってしまう。
その合間はなんなのか。
暑いと頭の中も”袋小路”に入りやすい。”にっちもさっちもいかなくなる”という風になんだかなりやすい。
そのような仕組み、頭の傾向を、ちょっと”池田さんの第3の眼”で以って眺めてみると、
すこーしだけだが、クールダウン、したようなキブンになる。
・・池田さんの本は、”脳みその”あるいは”よどんだ魂”の、一服の清涼剤、といったところであろうか。
- 作者: 池田晶子
- 出版社/メーカー: 新潮社
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”しかし特に近代国家の形成以後、人は人生そのものを政治に委ねるという転倒を起こしてはいないか。何のためのよりよい生活なのかを忘れていはしないか。やっぱり自分が賢くなる方が先なのである。”
同P.96 "選挙だってさ”
そんなことをおっしゃりながら教育に関し池田さんは何が必要かをおっしゃった。”自分が賢くなる方法”こそが,池田さんにとっての”政治”の同意語だったのだろう。
人は必要なことをするしかない。”必要”とはなにか、ということに、まずは思いを馳せてから。