信じることと、書く事。
知ることと、考えること。
この4つの周りをうろうろする。
PCの調子がいまいち。思えばただでいただいたもの。家電でもあるPCだが、寿命もあるのだろう。
ふと気づけば、蛍光灯も貰い物。20年は使っている。
家電、とはいうが、物に魂やどる、という感覚が確かにあるこの”私の魂”、からするとそれは愛着、というもの、”生きるもの”に対するのと似た心持がするのである。
PCが立ち上がるのを待つ間に、横の本棚から文庫本を引っ張り出して読む。ああ、この本もきちんと読んではいなかった。ごめんなさい。謝る。誰に?本にか。あるいは本の作者にか。
本の中に作者の思いがある、という言い方では少し物足りない。
残留思念、などといえば心霊学じみてくるが。作者の魂?そんなことはない、とはなにか言い切れないのはなぜか。
「シュルレアリスム。男性名詞。心の純粋な自動現象(オートマティスム)であり、それにもとづいて口述、記述、その他あらゆる方法を用いつつ、思考の実際上の働きを表現しようとくわだてる。理性によって行使されるどんな統制もなく、美学上ないし道徳上のどんな気づかいからもはなれた思考の書きとり。」
P.418 マックス・エルンスト 慈善週間または7大元素 訳注/解説 より
シュルレアリスム、という外国語を聞いて、その意味を推測していたのと、その実践者の思いとが少し違っていることに気づいた。具体的に”シュールな”現実を書くことを志向しているのだ、と思っていた。どうもちがうようだ。
書くことよりは、その思いを”自動現象”的に結果的に”表現してしまった”こと、あるいは”表現しよう”とする気持ちを持っていることとその生活。
上手くいえないが、そのような行為のことだったのだ、と、この解説を読んで思ったのだ。
問ー何が見える?
答ー水だ
問ーその水は何色?
答ー水だ
バンジャマン・ペレ、睡眠中。
P.86 同上
わけがわからない面白さを、文章と絵で楽しめる。写真が主力でなかったころの伝達手段として主力であったときの”銅版画”の生の魅力を感じる。
今見るものは”芸術”いわば伝統や美術のチェックを経たものしかほとんどないこの技法であるが、19世紀には真実を写す、そしていわばグラビアのような役割を担っていたことを感じる。
コラージュされた絵は、そうした”美術ではない卑近な”素材を扱うものだ。だから鮮度が違う。それを”コラージュ”という手法で”美術化”しているので、今の我々にとってはものすごく新鮮で珍しいのである。
素材が下品だ。とにかく写実を狙っている。しかしどこか上品だ。
そんなゆがみを楽しむのは、製作されたころの読者の眼とは確かに違う。そんなことを”PC起動待ち”中に思った。
- 作者: M・エルンスト,巌谷国士
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