夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

年齢。

前回書いた、”捨て眼”。

いわば無意識にセンサーを常時張り巡らす、という感じであろうか。
自動哨戒、とでもいうのか。

日々読むものといえば新聞、カラーが当たり前になり、字とともに”絵”も楽しめるようになった。

そして、前提として使い捨て、読み捨て、である。雑誌よりも、本よりも当然の如く”読んだら終わり”。

なので、新聞の記事は、するりと指をすりぬけるような感じだ。気をつけないとすぐ”どこかへ行ってしまう”。

人間の記憶とはほとほとあやふやで不確かなものだ。”これは良いことを読んだ、覚えておこう”とおもっても、ほとんど残らない。書き写し、反復吟味して、やっとこさ残る、時もある、というレベルである。そのことに自覚しておかねば、とも思っている。

映像もそう。個人差はあるだろうが、例えば人の顔、というのは覚えているようでそうでもない。だから、人は写真、というものを好むのだろう。

記憶を情念を練り込んで残す技、という側面があると思うのは、俳句、短歌だ。その伝統から情念を浄化する機能もあるし、そもそも情念を情念たらしめない”枯れさせる”機能もあるように思う。

まだ自らはその境地にあるかなあ、ということで本格参画してはいないが、そろそろかな、と思う頃になったらやってはみたいと思っている。それはカメラを持って町を巡り、記憶に残そう、というような”覚えておこうとする”行為類型のなかのひとつだ。

そうそう、このブログもまた、そのため(だけでもないが)でもある。

そんなことをおもうのは、讀賣新聞月曜版を開くとき。俳句・短歌の欄があるのだ。選者も多分重鎮どころが揃っている。短歌に不案内な僕でもよく聞く名前ばかりだ。

今週の俵万智選の欄をぼんやり眺めていて、ふと我が”捨て眼”センサー(若葉マーク)が反応した。”「池田晶子」だっ!”。

残念ながら池田さんのお名前を讀賣新聞でみかけることは多くはない。大概は書籍広告欄、あるいは芥川氏の月イチエッセイでたまに、位である。

選歌の中に池田さんのことを詠んだ歌があったのだ。

 畏敬する池田晶子の享年を生きつつ歌に身は定まらず

       春日井市 宮代 康志さんの作である。

・・・池田さんはもう歳を取らない。平成17年2月23日、46歳で此の世を去られたわけである。思うに作者の宮代さんは46歳なのであろう。

先人の歳を見るとき、自らはその歳の時なにをなしたのか、という思いを抱く。たいがいはその人に比べあまりに残念な自らの身を嘆く機会となる。池田さんに至っては、20代の文章からして既に素晴らしい。池田さんを知った時、当然昔の作品を池田さんがものした歳を過ぎていたが、思ったのはただ、”人間は年齢ではない”。

ここでいうのは、素晴らしい魂に歳の上下はない、ということであったが、そうではあってもしかし、”その歳で池田さんがどのように感じてらしたか”は気にはなった。

宮代さんの思い、だからよーくわかる気がする。自分は池田さんの享年にあるというのに、これでいいのであろうか。

人間は年齢というものになんと振り回されるものであろうか。余りに振り回されるのはいかがなものか、とはおもうが、しかし、それを意識して基準、よすがとしてゆくことはそれはそれで、


・・・案外と良い技、技術、なのかもしれない。