夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

世界とはなにか。

 

「世界」は、言語記号の介入によって、有意味的に構成化された「自然」の変様であり、有意味的に文節された事物・事象の全体である。
井筒俊彦 意味の深みへ P.67

言語がなければ、世界はいわゆる動物たちの世界と大差がない。動物の世界がだめで、人間の世界がいい、というわけではないのだが、結果的にその差異が動物たちから世界を奪い、この地球をほぼ人間の支配下に置くことになったような気がする。

そういう意味では、「言語」とは大きな力である。考えてみると、言葉とはもともと口で発することばに対比させてできたものだろう。なんとなく言葉と文字はもともと一緒に生まれたような感覚があるが、そうではない。生まれてから字を教えられる、というステップ、字を読むというステップがなければ、文字と言葉は全く別物だ。英語を学ぶ時の苦労もそのあたりがはっきりしていないからだろうか。海外から日本に来た人の子供は、耳から入る言葉は全く問題がないが、両親が日本語を教えられないケースの場合、特に漢字には苦労しそうだ。こうして当たり前のように書いてはいるが、漢字というこの形、改めて見るとかなり複雑であり、成人してから覚えることはとても難しいことなのではないだろうか。

言語記号により、本やネットで他人の考えを把握し、理解することができるのだ。空間を超える力を、言語は持っている。言語による「文節」で基礎的な相互の人間間の合意を得て、そこから次の思想へと展開することができる。

例えば「時間」という概念も、古代の人々は全く違った感覚で把握していたのだろうと思う。

(時間、も原初から存在する概念だと思っていましたが、たぶんもっとプリミティブな把握だったんでしょうね。。)

 

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