夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

学際的

昨日の続き。

学際的、という言葉がある。どちらかというと「キワモノ」というカタカナ表記の語から感じるような「うさんくささ」を感じていたのだが、

内田樹先生の文章を読んで、逆にそうした学問こそが、新しい知見を生みうる芳醇な可能性を秘めている、という見方に気づいた。

それこそダーウィンや地動説を考えてみる。それぞれの時代にあえてそのことを言えば、宗教的に抹殺されうる意見であったのだ。

決まった世界に安住していれば、「生活はなりたつ」。だがそういう世界にどうしても居ることができないひとがいるだろう。学問をすることに使命感を持ったひとだ。

シュタイナーの文章を読むと、非常にまじめで、とにかく人に伝えたい、という思いをもっていたことを感じる。だが河合隼雄氏が初めて日本にユングを紹介したときも、その「集合的自意識」という概念がキワモノ扱いされることを懸念して、箱庭療法等から紹介した、ということなどを思い出しても、見えないものを研究対象とするシュタイナーなどのいうドイツの「精神科学」はどうしてもなかなかいわゆる実証主義的科学とは相いれない部分があるだろう。

私も基本はそういう感覚がある。だが、初めから拒否するのではなく、いろいろな可能性を受け入れてもいいのかな、という思いもすこし出てきたのだ。

(続きます)

 

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