図書館でルドルフ・オットー著”西と東の神秘主義 ーエックハルトとシャンカラ”を借りた。
Rudolf Otto (1869-1937)
オットーは1933年8月に「ヨーガと東西の瞑想」をテーマとし、C.G.ユングの講演で開始された「エラノス会議」を企画し、場所を提供したオルガ・フレーベ=カプティン女史に、「共に食べる」という意味のギリシャ語、「エラノス」を与えたドイツの宗教学者・神学者である。
本書は1923年ー24年のオバーリン大学での講義を元にして、1926年に刊行された。
オットーは本書に先立って1917年に発行された「聖なるもの」にて「ヌミノーゼ」という概念を作ったことで有名である。
オットーが対象とする宗教体験は宗教経験は神的なるものの体験である。その体験の独自性を表すのに彼は新しい語を鋳造した。すなわち「ヌミノーゼ」という概念がそれである。
P.366 R.オットー ”西と東の神秘主義” 訳者による解説とあとがきより
神の観念から一切の神学的、教義学的および論理的な意味合いを取り外し、神の神的な部分を端的に指し示すために「聖」(Heiling)という語を選ぶ。つまり神は「聖なるもの」として捉え直されるわけである。(中略)それだけではなく、オットーは宗教体験において感じ取られる神的なものに言葉では言い表せない側面を見る。概念化しようとすると必ず「はみ出し部分」が出る。
同P.367-367
この”はみ出し部分”をも含んだ本来の"聖”の意味を表す語として、オットーはラテン語で神や超自然的な力を意味する numen から numinous なる語を作り、言語表現を超越する本来の“聖なるもの”を”ヌミノーゼ”と呼んだ。
本書はそのオットーが、”東洋と西洋の思想世界は決して出会うことがなく、最も深い根底においては互いに理解しあうことのないほど異なった、比較できないものなのであろうか(P.17 同序文)”という問いを、”人間精神の最深部分から現れる”神秘主義あるいは神秘主義的思弁を通して答えようとした”ものである。
そしてそこでは、中世ドイツのマイスター・エックハルトとインドのシャンカラが選ばれた。
引用されるエックハルトの告白をまずは見てみたい(傍点、あるいはサンスクリット語(らしき)部分を一部略し、一部段落を変更(追加)している部分があります)
私が神から歩み出た(すなわち多の中へ)時に、万物が「一つの神あり」と語った(この神はイーシュヴァラでもあり、人格的で、事物を創造する神である)。さて、それは私を至福にすることができない。なぜならその場合私は被造物として理解されているからである。
しかしながら、突破においては(真の完全な知識 samyag darsanaにおいては)私は被造物以上のものである。私は神でもなければ被造物でもない。すなわち私はかつて私であったものであるとともに、今も、そしていつでも私がそれに止まるであろうところのもの(niyamukta としての atman)でもある。
そこで私は、天使よりも高みに持ち上げられるような衝撃を受け取る(muktaは一切の神々devaおよび彼らの天界の上にいる)。その衝撃の際に私は大変豊かになるので、神(Isvara)の神たることからしても、またその神的業からしても神は私を満足させることができないい。
なぜならこの突破のもとで、何と私は私と神とが共通であるところのもの!を受け取るからである。
そこでは私は、かつての私であったところのものである。そこでは私は増加も減少もしない。何となれば、そこでは私は、万物を動かす不動者(acala)だからである。ここに至って人間は、彼が永遠にそうなってしまったもの、そして常にそうあり続けるであろうものに再び到達したのである。
ここにおいて神は精神の中に引き入れられたのである。
P.37-38 西と東の神秘主義 R・オットー
はじめに”(多としての)この世で、それを創る”神”を見て、満足しない。
その裏、上に、ここに、そこに、”一なる”神を、”この世の神”ではない”神性”を感じたときにその神と一体化する。
この流れ、やはり今まで見てきたグノーシス思想(もとはプロティノスか)、シャンカラのアドヴァイタ哲学、そして”大乗神秘主義”ともいわれる大乗仏教や禅。鈴木大拙の禅。
これらとの共通性はなんとも明らかだと考える。
東洋、西洋、時代の差異はあろうとも行き着くところの共通性(縦に開くか横に開くかの”性格の差”はあろうとも)。(上田閑照集第8巻 P.2 ”神秘主義から非神秘主義へ”より。)
エックハルトの"告白”では従来の神に満足せず、そこを超えた時点を”突破”と呼んでいる。
これこそオットーの言う”ヌミノーゼ”、言葉を超越した表現できない(=従来の神理解を超えた)ということとも
繋がる感覚、なのであろう。