夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

オードリー・タン氏の言葉と地球人。

例えば、在宅勤務や、遠隔治療、自宅学習、製造ムーブメントのような分野で、規制が時代遅れで理解できないものであれば、人々は規制を全て無視するようになるでしょう。
それは民主主義社会にとって危険です。人々が法律を習慣的に破るようになってしまうからです。
しかし人々は、私たちがやっていたことについて「法律と規制は時代に即している」と感じていたと思います。
アルゴリズムやコードをきちんと伝えることで、適切な規制ができます。それは、市民社会がまず基準を作り、その基準が市場や規約を作り、規約が法律になるという、先ほど述べたリバース・プロキュアメントです。
この流れが予測可能であればあるほど、既存の政治システムと社会との摩擦は少なくなり、政治システムは実際の社会と融合するでしょう。


引用:ハフポスト日本版 8月25日記事より

2010年期の世界価値観調査(主要国における組織・制度への信頼度)


2010年期の世界価値観調査(主要国における組織・制度への信頼度)(*)を見ると、日本で最も信頼度が高いのは信頼度70%代で裁判所、新聞・雑誌となっている。テレビの信頼度も60%代と高い。

対して政府への信頼は20%代、議会・国会、政党への信頼は10%代であり、調査項目中下から2番目に低い。

アメリカの状況を見てみると、最も信頼度が高いのは80%代の軍隊である(日本の自衛隊は60%代)。日本で最も高かった裁判所は50%代とやや下がり、テレビ、新聞・雑誌は20%代と日本と比べだいぶ信用度が低くなっている。

調査項目で上がっているもので、日本で最も低いのは、宗教団体で10%以下、これは日本において神を信じる層が、他国と比べ極端に少ないこととも整合するだろう。米国では、宗教団体は80%代の軍、60%代の警察(日本も同じく60%代)に続き、裁判所とならび第3番目の50%代を占めている。

アメリカでの政府は30%代の信頼度、議会信頼度も20%と日本より若干高いものの、低めとなっている。

英国でも、政府や議会への信頼は10%代と低く、マスコミも同じく10%代となっている。

こうした国々では、政府への信頼はあまり高くなっていない。当然ながら様々な支持政党(無支持含め)があるわけであり、信頼度が割れるのは仕方がない面もあるだろう。だがスウェーデンでは50%代、韓国でも40%代と、時の政府(本データは2010年期なのですこし古いが)にもよるだろうが、世界を見ると政府が全て支持率が低いわけでもないようだ。

政府の存在感と評価機会が高まるのは、平時よりは非常時であろう。

そういう意味で今回いまだ真っただ中のコロナへの対応に対し、普段はそれほど政府へ意識のない層も含め、改めて政府というものを考える機会となった。

冒頭で引用したのは、台湾の35歳のデジタル相、オードリー・タン氏の言葉である。コロナに対応し、どこにマスクの在庫があるかを示すソフトをタイムリーに公開するなど、台湾でのコロナ鎮静化に大きな力を示された方だ。

マスクと聞いて、そしてこのタン氏の言葉を読んで思い出したのは同じくコロナへの対策として配られたいわゆる”アベノマスク”のこと。マスクが不足しているので、政府主導でマスクを配ろう、という発想はよし。だがあのデザイン。

さんざんに言われていることなので今更ではあるが、個人的に感じたのは”マスク不足の緊急時なのだから、国民はありがたがってどんなダサいマスクでもとりあえず押し頂いて使用すべし”という押し付けがある、というものだった。

たぶん、実際はそれほどあからさまな意向はなかったのだろう。だが私はどうも子供の頃から押し付けられるのがなんとも嫌なのである。もし、もし顔に装着するのが(身の安全に加え)すこしでも楽しみになりときめくような要素があるマスクであったなら(先進技術とか)。まだしも”普通の”マスクであったなら(もうすこしでいい、幅が広ければ)。

それほど微妙な気持ちは持たなかったはずである。

”デザイン”や”使用するものの思い”などは、緊急時には二の次三の次なのだ、といわれているような気持ちが、なぜかしたのである。

私も生活のなかで、特段わざわざ文句を言うことはなかった。そもそも日本人平均の政府信頼度20%代であれば、まあ、こんなものだろう、ということになる。受け取り、感謝して、そっと横におく。

だが、タン氏は違う。

規制が時代遅れで理解できないものであれば、人々は規制を全て無視するようになるでしょう。


そう、アベノマスクにがっかりして、頂いたものなので無碍に捨てたりはしないがそっと置いておくという態度、これは理解できず、規則を無視する(ことさら無視したいわけではなく、どこか残念な、申し訳ない気持ちさえ内包しつつ)という行為と地続きだ。

繰り返すが、できればそうはしたくないのだ。

もう少しだけでも、幅が広ければ。。。

 


そこのところをよくわかっていて、人々が行ったことに対し「法律と規制は時代に即している」と感じていた、と実感しているようなことを行い、考えている大臣がいるのだとしたら。

 


これは、なかなかいいぞ、と思ったのだ。

 


世界の中で人々の意識は既に地球に住む人類の一員、というものとなっていると感じている。多寡はあろう、国にも、政治にもよろう。だが、程度はさておきすべからく今、人々は感じているだろう。

そこでは、たぶん、例えばそうしたことは台湾でのみ行われた、という風には感じない。

地球内で、良き認識に沿った、良き対応が行われた。

そしてそれはたぶん、自分と関係がないわけではない。

 


そうした希望が持てることが、”地球人である”という意識の、良き点で、

あるのだろう。

 


(*)文中 2010年期の世界価値観調査(主要国における組織・制度への信頼度)の情報は、Honkawa Data Tribune 社会実情データ図録(本川裕氏サイト) 記事を参考とさせていただきました。

 

 

Au オードリー・タン天才IT相7つの顔

Au オードリー・タン天才IT相7つの顔