この度発行された、鈴木大拙の”神秘主義”がMAZONから届いた。
個人的になぜか大拙ブームがやってきており、名著“禅と日本文化”を入手した勢いで、
最近(2004年)に初めて訳出された本書の文庫版(本年5月発行)を、
注文してしまったのである。
訳出、つまり原文は英文で、大拙が主に海外読者に向けて書いた著作であり、発行から50年を経て日本語訳されたものだ。
1957年の発行であるので、1870年生まれ、1966年没の大拙87歳の時の著作である。
大拙はいわゆる当時の小乗仏教(現在では上座部仏教と呼ばれる)と大乗仏教の交わる点である日本における状況を”東方仏教”と表す。
変容した東方的な「無」は、キリスト教の神秘主義的な展開の中で可能となった、人格的で「一」なる神以前に位置づけられる非人格的で「無」なる「神性」(Godhead)とほとんど等しい性格を持つようになる。
「無」の側からは「有」が抽出され、「有」の側からは「無」が抽出され、その両者が重ね合わされていくのだ。
仏陀であり、キリストであり、その他真理に至った”人としての霊性”たちは、等しく同じことを述べている気がする。
ただ、時代が、言語が、”違いではない違い”がある。境界のない差異というか。
悪いくせでいつも解説から読み始めてしまう。
表紙に書かれた惹句も写しておく。
中世キリスト教修道士のM.エックハルト、中国と日本の禅僧、浅原才市ら真宗の念仏者・妙好人。
東西の求道者たちは、霊性の場において出逢う。
うーん、楽しみになってきた。
最近ちょこちょこ読みでたくさん本がたまっているのですが。。。