今朝の体重63.1kg、そして体脂肪はなんと13.7%!これはどうしたことか。
体重は減り気味だ。だが、体脂肪は昨晩帰宅時で10.1%だったのが、これはいかに!!
とがっかりしたが、なんとなく力がみなぎらない感じ、気が抜けた感じがあり、その体感と体脂肪率は連動している感じがある。
これはなんだろうか。
ただ季節の変わり目、冬から夏へは熱くて調子が悪くなるので、その逆で暑さが和らいで楽な分気が抜けているのかもしれない。
昨晩は24時間ジムでこれも今一つパワーが出ない感じの中、無理せずルーティンをこなした。18kgのダンベルフライが、結構重く感じたのを覚えている。
まあ、気力に波がある、ということだろうか。
さて、
芥川龍之介のことは今まであまり関心がなかったのだが、明治期のいわゆる文豪と言われる人たちは、実はそのころのいわゆる欧米文化に非常に関心があったということを、片山廣子評伝を読む中で気づいた。
芥川龍之介は東大文学部で欧米文学を論じ、森鴎外はドイツ他に外遊し、夏目漱石も旧制一高の英語教師であったことは昨日の本稿でもすこし触れた。
新聞記者あがりの菊池寛は先輩アイルランド文学愛好家の片山廣子と、初見時に10年来の友のようにアイルランド文学について語り合ったという。ロード・ダンセイニ(片山はダンセニイ、と呼んだが)は、極北の古い時代の作家かとイメージしていたが、なんと片山廣子と同年生まれ、同年没であるという。
私は系統だって文学史を学んでいないので、そのあたりがイメージでしかない。文学や美術がどのような流れでここに至っているのか、ということは、知っていて面白いものだなあ、などと最近は感じているのだ。
そうなると、「文豪」などというと妙に古臭いイメージもあるのだが、結局若い時分に彼らが夢憧れてその結果としてその文芸がある、という考えてみれば当たり前の事実に思い至る。
また芥川龍之介、国語の教科書でその姿を見、神経を病んで自殺した、という経歴だけをみるといわゆる近寄りがたい狷介な人格であったのか、などと思うのだが、とてつもない澄んだ目をして、長いまつげをもち、こんな親切な人をみたことがない、という人柄であったようなのだ。そして直截ながらなんとも人にうまく甘えられる面も持っていたという。
そういう人物像を知れば、その作品もまた読みたくなる。
過去作で爆発的に知られると、その後の作品ではやはりなかなか苦労することもあるだろう。三島由紀夫でもそのことを少し感じた。特に小説家は。いわゆる評論や独自の世界を紡いだ澁澤龍彦あたりには、後段になればより面白い、という趣はあるのだが。
片山廣子は162センチと、明治生まれの女性としては相当高い感じがする。年若い少女の評では、色白く、額から眉にかけてモナリザのようだ、ともいう。
写真嫌いでその姿は数枚の写真でしか接することはできないが、シバの女王とソロモンにお互いをなぞらえたという龍之介と廣子の、ひそやかな自負もさもありなん、と思うところである。
(芥川龍之介が気になってきました)