はてなブログ。2008年5月17日から途中中断を経てほそぼそと続けている。昔ははてなダイアリーといった。
初めての文章はやはりというか池田晶子さんのことを書いている。
池田晶子”暮らしの哲学”の冒頭はこう始まる。
”今年もまた桜が咲きました”
現在はどちらかというとnoteに軸足が移ってしまっており、日々の日記をそのままこちらはてなに転載するような形にしている。だがたぶん、読者になっていただいている方々はかぶっていないともおもうので、こちらの皆様へも近況報告的な感じで届けようと思っている。
なぜにはてなでnoteのことを書いたかというと、昨日気づいたのだが、昨日付でここはてなの記事が999件であったのだ。ということは、この日記をこうしてはてなに転載すると、記念すべき1000件めとなる。1年52週、中断期もあり、特に最近はnoteでほとんど毎日日記を書いているので、後半件数が積みあがってはいるのだが、まあ、足掛け14年、平均すると1週間に1本以上は記事を挙げていることになる。
単なる雑記で、ただただ書くだけ。だが昨日はてなでキイワードで過去日記が調べられるということを知った。
試しに「片山廣子」でサーチしてみると、ブログを始めて4年めの2012年5月に、なんと今書いているのとほとんど同じような文章を書いていることがわかった。なんというか、全く記憶がない。10年ひと昔というが、とにかく記憶ゼロである。
ひとつ面白かったのは、とにかく書いたことを記憶していないので、読んでみると「また同じこと書いているなあ」と思いつつ新鮮であることだ。自分の文章ではあるが、普通の文章でもあるのだ。過去の自分はもはや他人のようである。
自分とは連続した人格である、と思ってはいるものの、10年経てば中身の組成はほとんど入れ替わっているのではないだろうか(一部骨なんかはそうでもないでしょうが)。写真もそうであるが、こうしたほぼ個人的な日記のようなものが、WEBの中で容易に参照できる、というのは考えてみると面白いことではある。
(まあ、書いているトーンはほとんどおんなしですね。だがはてな初期は一人称は「僕」、最近ではおっさんによりなったので、note「では「私」としています(笑))
こちらが一番目の記事。やはり池田さん関係。
こちらは池田さんと言えば外せない陸田真志元死刑囚の記事。