夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

アラン島と生まれる前の罪について。

荒涼たる、ということばが冠せらるる場所として私のなかでイメージがわくのは、例えばこのアラン島である。

といっても行ったこともなければその風土を良く知っているわけでもない。

土地がやせ切っており、石を砕いて土とする、というイメージがなぜか私の中である。その厳しい自然がモルトウイスキーを生んだ、という漠然としたイメージもある。だがそこが本当にそうであるのかさえ、ぼんやりとしている。

シングという作家がアラン島に滞在して本を書いている。図書館に予約をした。80年以上前のドキュメンタリータッチの映画もあるようだ。片山廣子のエッセイ「燈火節」をパカリと広げて読んだ箇所から、彼女がそのドキュメンタリー映画アイルランドという幻想の地を見たというような感触を得た。

過去映画とはほぼ一期一会のものとしてあった。ビデオが家庭にない時代、ほぼ映像とはそういうものであった。だから昔見た過去の感動を想起できる場所としても「名画座」は人々にとって単なる映画再演の場ではなく、ある意味過去の感情を再び取り出す、あるいは出会いにゆく、メモリーエリアでもあったのだろう。

今映像の位置は変わった。かの「アラン」でさえ、DVDで購入することができるかもしれない。

それがよいことなのかはわからない。メモリーが手の届かない場所にあると、届かない、という思いがスパイスのようにそのメモリーに芳醇な味を自身の脳裏のなかで加えるかもしれない。だがそれは既に過去の一つの過ぎ去った状況である。常に「時間はない」といっている私にとって言えば、「現在の中にある「過去としての記憶」」というべきかもしれないが。

だが、そのように過去映像にアクセスができない時代、あとから来た人は、アクセスが出来ないというこのどうしようもない壁、そのこと自体がある意味豊穣な自らの想いを作り上げる契機となることもあっただろう。「未見である」。そのことが、まだ見ぬ「未来のメモリー」を勝手に脳内で形作るられる。幻想の中での聖地となる。例えばわが「アラン島」のように。

ユダヤでは「自らが生まれる前に犯した罪」を「原罪」として悔やむという仕組みがあるようだ。これはホロコーストユダヤ民族がなぜにこうした苛酷というにはあまりにも苛酷な仕打ちを歴史からうけるのだ、という気持ちをユダヤ人たちが戦後に持ったとき、ユダヤ教のある聖職者から示された考え方であったという。

たしかに自身の生まれたあとの罪によってこのようなことを受ける納得できる理由などあるわけがないだろう。無理やり納得させる、というのとは少し違う次元でそういう形で思うことでしか、耐えられないだろう。

そういう考えの構えのことを知ったとき、宗教や神、という考え方の意味や位置、というものをすこし考えさせられた気がした。宗教は言い訳のようであって、実際一部そうではあるが、それだけではない感触を受けるものであるからだ。

(方便、というと浅いですが、自らを言い訳ではあるがそれだけではないような思いで包む、慰撫する、というような構えのことでしょうか。人は弱くてもろいものですが、自らそのもろさに気づき、対応を考えることもできる。そのことが実は「人間」というものが与えられた役割、誰に与えられたわけでもないがしかし担っている役割、のようなものかもしれない、などと堂々巡りのように考えます)