盆休みが終了してから一日目は在宅勤務であった。
最近のコロナ蔓延から再度在宅目標全員50%という指示があった。最近は週1での在宅であったので、50%と言われると週に2-3回は在宅となる。
休みと在宅は似たようなものかと思うのだがやはりそうではない。
まずは四六時中時間を意識する。この時間までにどうするか、という意識が発生するのだ。
この意識は脳のメモリーを喰う。メモリー使用が対価を生むのだ、と今朝理解した。
電話がかかってくるのでは、という意識がまたメモリーを喰う。営業だと土日もそういう意識がある場合もあり、そこへの対価が明確でないのはどうか、という議論がある。
まあ、いわゆるサラリーマン、受け身での仕事に典型的な意識ではあるだろう。だが推測するに請負や個人事業主でも大きな違いはないであろう。
違うと思われるのは、純粋なクリエーター。たとえば小説家だが、これも中長期で筆一本でやってゆけるのか、という心配がメモリーを喰うだろう。
そのことが一応は保証される「安息日」、仕事が「宗教的に」禁止されている、と言える仕組みは、ある意味そのあたりを考慮して発生しているのかもしれない。
(ここ日本では安息日、という仕組みはありませんね。神というものが明確にいないということとのバーターでしょうか)