「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです。」
村上春樹インタビュー 1997-2011 を読んでいる。
今年で東北震災10年だが、3月20日AM8時、1995年には地下鉄サリン事件があった。1995年1月には阪神での地震があった。
この30年間で大きな災害や事件があった。
前述の本で、サリン後の1997年に村上氏は被害者にインタビューした”アンダーグラウンド”を上梓されている。30歳でデビューし、40歳で”ノルウェイの森”を書き、インタビューは50歳前からのものだ。20年、作家をされ、ノルウェイの森がベストセラーになることで、周囲が大きく変化し、アメリカに住むようになり、”ねじまき鳥クロニクル”を上梓される。
サリンと阪神大震災時は、だからアメリカに住んでいた、ということだ。
それぞれの事件や災害が、それぞれの人にとっての心に占める位置、というものはさまざまであろう。
例えば過去そこに住んでいた。知り合いが関係している。他人事とは思えない。
もちろん皆さん他人事とは思えないかたがほとんどだろう。私個人でいくと、1997年5月の酒鬼薔薇事件も含め、4つの事件が大きく心を占めている。
そのことについては、一つ一つが大きいテーマになるので、この稿ではこれ以上は書けないが、それとは別に村上春樹インタビューで(まだ読んでいる途中ですが)記憶に残ったことの一つに、村上氏が小説を書くときに、なんのプロットも、あらすじも作らずに、先行きは自らもわからないまま、小説を書いている、というところがある。これは最近読んでいる森博嗣氏も同じであった。書きだしてみないと作者である自分も先がわからない。わかったらおもしろくないし、書けない、と両者ともおっしゃる。
個人的な話になるが、高校3年の時、小説を書いてみようと思ったことがある。小学校6年くらいでマンガを書いてみようと思ったが、小説は読みはすれ、書こう、という気がそれまでは起きなかった。どちらかというと、マンガより大変そうだ、という印象があったからだ。
それまでは様々な小説はあるのだが、好きな小説は一貫してファンタジーオンリイであった。指輪物語、ナルニア国、そしてドリトル先生。児童物のファンタジーから脱却できていなかった(そしていまもできていない)。
マンガの描き方を読むと、ストーリーテラーであることが必要、まずはストーリーを頭をひねりまくって絞り出すことが創作なのだ、と学んだ。手塚や藤子が、死にそうになってストーリーをひねくりだす姿自体が、マンガになっていた。創作とはそのようなものだ、とそう、数か月前まで思っていた。
高校3年生のとき、卒業文集を出そう、という話があった。学年でのまとまりが全くなかったが、名前だけ美術部の私にも話が来た。結局絵物語(こちらは完成)とSF風味小説第一回(つづく)を書いた。いや、卒業文集である、つづく、はありえない。
つまりは小説を自分は完成する力がない、とそのとき深く心で感じたのだ。
ストーリーやプロットを考え、それに沿って物語を書いてゆく。これがどうしようもなく”作業”に思え、面白くなかったのだ。
マンガを描いていてもそうだった。ストーリーを説明するための絵を描くのが、しんどいのだ。ああ、これは創作者に向いていない。そう感じていた。
絵物語か、挿絵か、一枚絵か。そういうジャンルしか自分はできないだろう、と思っていた。
だがしかし、大量の創作物を量産されている森博嗣先生が、かの村上春樹先生が、自身プロットなしで創作をされているとは!!
正直、このことは私の脳内世界において、大きな事実である。そうか、そういうものなのか。
考えてみると当たり前かもしれない。絵を描くにしても、無理やりひねり出したものには無理があり、後悔があり、義務感により生み出されたもの、という臭みを作品が纏っている。描きたくて、飛び出してきたものにはそれがない。見ていて、わかる。これは作者は描きたくて描いているな!
それを感じながら見ることは素晴らしい。こころの触覚を、見えない触覚をゆらゆらさせて、例えば美術館を逍遥する楽しさときたら!
職業的漫画家。鳥山明氏のマンガも、描きたくて描いている、という感じが好きだが、だがやはりドラゴンボールの果て無きバトルを描き続けるのは、どうやら苦労されたようだ。人気が出ると、特にジャンプ系は、作者は消耗するイメージがある。作家もそうであろう。
そこでは多分締め切りのプレッシャーが必要になるのだろう。もう入稿時間2日も過ぎてますよセンセイ!!である。原稿落ちますよセンセイ!!!である。
私も中間試験、期末試験はまったくそうであった。本当に取り組めない。どうして、というくらい取り組めない。一夜漬けならぬ、朝四時半から漬け、であった。
たぶんそれはあまり健康(精神的にも)よくないだろう。ストレスを受け続ける生活になる。
そうしたしんどそうな創作とは、すこし世界が違いそうな、というのが村上春樹流であり、森博嗣流、である。日々の生活で自身の中に多くの引き出しを持つ。創作でどのひきだしが、どのように開くのかは、自身もわからない。
それこそが、或る意味では理想的な創作姿勢なのだろう、と今深く感じている。