夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

ジャック・ドュミ。

引き続き私的ジャック・ドゥミブーム中。

 

山田宏一氏が実際にドゥミに行ったインタビューを読んだ。

 

映画も小説もマンガもTVも、物語を表現する一手段であるが、森博嗣氏がおっしゃるように小説なら一人で制作できる。映画はそうはいかない。

 

ジャック・ドゥミの少年期、という彼の奥さんが撮った作品を見ると、映画が娯楽の王様であった時代、ナントの港町で自動車修理工房の父と、美容師の母の間に生まれたドゥミは、映画の世界にどうしようもなく魅せられ、魅入られた。

 

私にもその気持ちがわかる。この現実の中に自分があり、現実ではない世界を見せられたら。そこに限りなく魅せられるであろう。1931年生まれのドゥミの日常にはTVはない。プリミティブな形でのマンガはあったのかもしれないが。人々が接する娯楽としての別世界、物語は映画か例えばオペラ、例えば人形劇という形で提供された。

 

それらの手段を通してドゥミは、芳醇な物語の世界に接し、自らもそれを作り出したい、と願ったのだ。

 

私の場合は映画(ディズニー等)はあったが、頻度では当然TVアニメ、そして絵本やマンガであった。接した手段は違っても、物語への憧憬という意味ではおんなじなのだ。だから、私はドゥミに共感するのだろう。

 

手回しの映写機を購入し、セットのフイルムを何度もみるが、自分のフイルムを作りたくてフイルムの画像を消してそのフイルムに自ら字や絵を描く。それを家族に見せる。自作を発表する楽しみをそうして体験する。

 

簡単なフイルム動画を撮影できる機械を母親に買ってもらう。配役を考え、身近な人に出演してもらい、制作にトライする。露出?が多く、現像に出したフイルムは真っ白だ。幼少時より映画で親しんだ物語は当然大人向けだ。少年だがその作る物語は大人向けである。その頃は子供むけの映画は、ほとんどなかったのだろう。大人向け、という意識はたぶん彼にはない。物語とは、そういうものなのだ。

 

眼の前の家に住む同世代の美少女は、進駐してきたアメリカ兵に夢中で、ドゥミの映画に出演してくれない。映画には、女優が必要なのだ。女優は、美しいことが必要なのだ。仕方なく、彼はコマ取りの人形(というか平面人形なのでアニメというべきか)を使って映画を撮る。そこでは監督ドゥミの指示通りにすべてが創造されてゆく。少女は父親不明の(たぶんアメリカ兵)妊娠をする。その時代のフランスには、多分宗教的にも中絶はなかったのか。あるいはお国がらか。他人の子をはらんだ娘と普通に結婚する”シェルブールの雨傘”のドヌーヴが、その相手が不思議だったが、フランスでは当たり前ではなくとも、少なくともありうること、だったのであろう。どちらも、戦争が、おこしたことだ。そこがドゥミにとっての、反戦だ。

 

フランスは、ドイツに占領され、アメリカによって解放された。そのフランスで映画を作ること。当然ながら資金あつめが大変だ。映画の本場はアメリカ。アメリカに出ていって映画を撮る、ということは、いわば大正期の日本人画家が美術の本場パリに行って絵を描くようなものかもしれない。

 

その前にドゥミは父親を説得せねばならない。子供に理解のある母親だが、父親は自らの家業を継ぐための技術を学ぶようにいう。いやいやながらキチンと学ぶが、余暇はすべて映画につぎ込む。最後に折れて父親は彼がパリで映画を学ぶことを許してくれるのだ。

 

フランス・ヌーベルバーグの監督は、ドゥミ以外はすべてブルジョワ階級であるという。本来はその所属階級からはたどり着けない職業を、彼はその熱意で獲得するのだ。であれば、当然その作品はその夢の、自らの内に確固としてあるサーガの、実現でのみありうる。

 

そこが苦しんだところなのだろう。一作ごとに資金繰りに苦慮する。前作があたらないと、次作の制作は困難を極める。作りたい作品を作るために、注文仕事もこなすのだが、どうしてもそこに自身の色を織り込んでしまう。それは隠せない。見えてしまって完全な注文しごとにはなりえないのだ。

 

日本資本、オール海外ロケ、海外配役で”ベルサイユのばら”を制作している。当時はバブル期であったのか、ベルばら人気、資生堂タイアップという布陣でドゥミは制作を請け負っている。だが、原作に忠実にはなりえない。それはそうだろう、フランス人が自国の革命を自国俳優を使って撮影するのだ。そしてそれは日本人が作ったストーリー。池田原作にはなにも罪はない。中国人が描いた中国向けの日本人だけが出てくるマンガを、日本で日本人監督がオール日本人俳優で撮影する、そして公開はほぼ中国のみ、と考えればその特異性はおわかりだろう。

 

原作がマンガであることも苦しいところだ。主に見る日本人観客にはすでにオスカルの、アンドレの映像が抜きがたく入っている。日本人にとっては単なる実写化、ともいえるだろう。だがドゥミにとっては、その部分をどれだけ理解できるだろうか。指示に従おうとしても、自国の、西欧俳優による、自国の歴史を描く映画にしか、できないではないか(すみません、いろいろ言ってますが未見です汗)。

 

この本(シネマ・アンシャンテ)でドゥミが語るところでは、”モン・パリ”公開後の5年間、ミュージカルは金がかかるということで次々に企画が没になり絶望的になっていた時に舞い込んだ話だという。ジョージ・キューカートニー・リチャードソンフランシス・コッポラと次々に監督を断られたあとに話が来たとのことで、オスカル役にははじめはドミニク・サンダが予定されていたという。プロデューサーは、1970年代に小山ゆうのマネージャーをしていたという山本又一郎(小山ゆうの”あずみ”の映画化時には脚本も書いている)。夢枕・天野の”吸血鬼ハンターD"にも関わったとあるので、マンガ実写化という試みには適任の方だと思う。

 

ドゥミはサンダなら文句なしに素晴らしい、と思っていたらしいが、ギャラの関係か英出身でフランスで活躍するカトリオーナ・マッコールに変更となり、”余り官能的なニュアンスのない女優なので”とテンションが下がっている。本作はアンドレやオスカルが死なず、当時は宝塚で歌劇が大評判という時期でもあり日本での評価は良くなかった、ということだが、果たして”官能的で文句なし”との思いでデゥミ監督がサンダでノリノリで撮影したのであればどんな映画となったのだろうか、と想像するのも面白い。

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ドミニク・サンダ

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              カトリオーナ・マッコール


 

映画を作る。資金を提供してもらうことが前提だ。なぜに日本映画を、と思ったが、考えてみるとドゥミにとって、アメリカで資金を提供してもらい映画を撮ることと、日本で資金を得て映画を(これは自国で)撮ることは、もちろん同じではないが、同根のことでは、あったのだろう。

 

シェルブールが受けて、2作目でロシュフォールを撮る際、ドゥミははじめはオードリー・ヘプバーン(1928年生まれなので映画製作の1966年5月31日クランクインであれば30台後半)とブリジット・バルドー(1934年生まれ)で撮ろうと思っていたという。170センチのヘプバーンと163センチのバルドー、ブルネットと金髪(これは実際の作品でも踏襲されたが)、当然姉妹ではない設定だ。だがそうした映画がもし制作されていれば、どんな絵だったのか、と想像するのも楽しくはある。バルドーは受けたが、ヘプバーンが断り、その後バルドーも断ったそうだが。

 

その結果生まれた年子の実姉妹を双子として設定したロシュフォール、翌年姉が自動車事故で他界している(1967年6月26日、25歳)こともあり、映画史に残る傑作になったと思う。だがすでにハリウッドではミュージカルは下火、それをフランスで制作、というのは難しい面もあったのだろう。日本では大いに受けた(それが後年のベルばらにつながったのか)ようだが、本国フランスでの受けはあまり良くなかったという。

 

インタビューでドゥミは、自らのサーガ作りの内幕を開陳している。自らが幼少期から見た映画の地続きにとして、”映画”という大きな流れに属するものとして、映画を撮っていたのであろう。”LORA"の名前は敬愛するマックス・オルフェウス監督の遺作、「歴史は女で作られる」(1955)の原題、「ローラ・マンテス」から来ていると思われ、14歳の時に見てこれこそ映画だ、という天啓を受けたというロベール・ブレッソン監督の「ブローニュの森の貴婦人たち」〈1945)でマリア・カザレスと共演したキャバレーダンサー役のエリナ・ラブールデッドが「ローラ」では10代の未婚の母、デノワイエ夫人として登場する。作中でロラン・カッサールの想い人(ローラ)がダンサーであると聞いて、私も若いころダンサーでした、と”ブローニュ”のスチール写真を見せるのである。つまり、物語は繋がっている。敬愛する作品と、繋げているのだ。

 

当然ながらシェルブールロシュフォールも地続きだ。劇中であとで30年来想い続けた踊り子を殺して並べたとわかる老紳士が、(殺したあとだと思われるが)その母親が経営するカフェでカトリーヌ・ドヌーヴ演じるデルフィーヌに、昔シェルブールで会った娘に似ている、と何度か言い、デルフィーヌに”しつこいわね”と言われるシーンがあり、どうにも違和感があったのだが、インタビューでドゥミが内幕を語っている。

 

もともとシェルブールでドヌーヴと結ばれなたったギイが、友人で今回のドヌーヴの”約束の恋人”たる水兵のジャック・ぺランとロシュフォールにやってきて、”あなたは僕の初恋のひととそっくりだ”というと、ドヌーヴが”似てるけど、わたしのほうがきれいでしょ”という流れを予定していたという。

 

結局ギイ役のニーノ・カステルヌオーヴォがイタリアのTVのギャラの方がよく出演を断ったので、やむなくセリフでそのつながりを示唆した、というのだ。

 

いわゆる繋がりを示すカメオ出演のようなものだろうが、これを読んであのシーンのわけのわからなさが解消した。

 

いろいろ書いてきたが、ヌーベルバーグ映画が低予算で作られる実験的な映画であるのなら、デゥミの映画はミュージカル仕立てで完全セットが必要な、費用も2-3倍かかる映画であるという。実際の映画製作では予算がなく挫折の連続です、とドゥミもいう。ギリシャ神話的な父と娘の近親相姦、未婚の母や反戦思想等、オペラやミュージカルがとにかく好きで、その世界へこうした重いものを無理やりねじ込む世界観。すべての映画は大きな映画サーガのなかで繋がっている。前半に比べ、現在は評判の芳しくない後期の作品の再評価もこれからだろうと思う。

 

そんなジャック・ドゥミ監督の作品群は、とにもかくにも現在の私にとって、大変に魅力的なもの、なのである。

 

参考図書

山田宏一濱田高志 「ジャック・デゥミ ミシェル・ルグラン シネマ・アンシャンテ」2017年 立東舎刊

 

 

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