夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

読む、ということ。

試しに書き出してみる。

これが重要だ。

書く、は描く、でもいい。

 


とりあえず、書き出してみる。そう、この日記のように。

日記を書いていると、なにも書くことが浮かばないなあ、ということはよくある。日中もなんとなくなにか書くことはないかなあ、などと微妙にアンテナを立てている感じだ。

まあ、それほど頻繁になにかがアンテナにひっかかるわけではない。

 

そんなこんなで、最近は図書館で本を借りることが増えた。予約6冊、借用可能冊数も6冊だ(名古屋市図書館の場合)。

 

予約は3冊位は、予約が無いか、少ないものを入れている。すると3-4日で図書館に届いていることが多い。保管期間が短くなり、借りている本が読み切れず保管期間終了で元居た図書館に戻ってゆく本もある。

 

残りの3冊は、新聞の読書欄などで気になった本を入れる。これは新刊が多いので、だいたい順位が20番や30番、ということもある。まあ、気長に待つ場合が多いが、読みたい本が多くなると予約から落とすこともある。

 

図書館のサイトで”読みたい本”ということで情報を別に残せるので、そこに入れておく。正直これから読むかどうかは微妙だ。だが、そこに入れておけば、精神的な安定にはなる。

 

いつか、読むことがあるかもしれないし。

 

自身の中で、ブーム、と呼ぶべき事象が起こる。大体気になる作家が出来ると、その作家の過去作まで遡って読む。また、新刊が予約満杯であれば、その作家の過去作を借りてみることもある。過去作であれば、予約はほぼないからだ。

 

今は久しぶりに村上春樹ブーム。並行して森博嗣エッセイブーム。生方丁ブームは数年前にあったが、新刊が出たようなので予約している。これは”人気作”で予約者30人以上いたので、当面読めないと思う。

 

小説を買っていた時期がある。シリーズものでは、剣客商売や、パーカーシリーズをもっていた。だが、読んでいて”これは再読せねば”としみじみ感じる名作も、我が部屋の本のカオスに紛れてしまうと再発見することが困難だ。2度、手にとることは、ほぼない、という残念な状況だ。

 

だがブックオフに持ち込めば多分1冊10円である。まあそれでもいいのだが、あの自身の感動が10円か、ということで、すこしく残念な気持ちになる。もれなくなる。

そのなさけない気持ちを思うと、あまりブックオフにも売りたくない。

 

ということで、なるべく小説は、図書館で借りるのがよいだろう、と思っている。いやこれは再読せねば、と思うことも多い、例えば村上作品。なんとも深い読後感。私には合っている。皆さんにも合っているだろうが。だが村上本なら、どこの図書館にも常備されている。予約なしで、借りることが出来る場合も少なくない。

 

昔金持ちが、デパートは自身の倉庫だと思っている、といっていた。これは発想の転換だと目から鱗が落ちたものだ。金持ちにとっては、すべての代金がはした金かもしれないが、もちろん私はそうではない。そうではないが、例えば文房具なら。まあ無理すれば大体は買えるではないか。

 

考え方を知り、自らにも取り入れること。このことで大きく生き方が変わることがある。

 

図書館も、その方式でいけば、あそこは自身の書庫と思えばいいではないか。自分の、本と勝手に思うのだ。図書館の皆さんは私設図書館員だ、と。

 

まあ、あつかましいのだが、思うのは勝手である。

そういうことで、遠慮なく借りている。本当は10冊位かりたいのだが。

 

そうして本をぱらぱらめくる。読み切れずともよい。すこし開いた箇所に、

”ああ、この瞬間にこの言葉に出会えてよかった。試しに本を借りていなければ、この出会いはなかったのだ”と嬉しいというよりは、ひやひやした気持ちになることがある。

 

ああ、やばかった。知らない自分と、知ったあとの自分は、全然違うぞ、と。

(図書館の皆様、いつもありがとうございます)