夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

GWが終わった。山田稔と生田耕作。二人の京大仏文教師についてのこと。

f:id:mamezouya:20230517071105j:image

今日の体重は65.5kg、体脂肪は8.9%であった。

GWは東京でいろいろと歩き回った。基本的には東京に住んだことは単身でしかないので、なんというか自分で行こうと思うところにしか行かないのである。つまりは観光地にはあまり行かない。

のだが、行ってみるとこれがなかなか面白い。とにかく見どころが多すぎる。そんな気持ちでいっぱいとなった。

グルテンフリーも食べすぎも忘れていろいろ食べ歩いた。

泳げたいやきくんの発祥であるという四谷のたい焼き。その前にあったラファエルのカレーパン。

もんじゃやきストリートのもんじゃ。お台場のインド系の食べ放題。

そしてスリランカカレー。

すこし体重計に乗るのが怖かったが、まあそれほど肥大しなかったのは、食べるだけではなく歩き回ったからであろう。

5月3日、26000歩。5月4日15500歩。5月5日22000歩。5月6日19000歩。

4日間で合計82500歩歩いた。一日約2万歩である。毎日天気が良かったこともあるが、よくも歩いたものだと自分でも感心する。

5月7日は雨で観光せず、夜はいつものサイゼリヤで夕食を摂った。

3週続けて日曜夜はサイゼリヤだ。昨日は19時半から22時前まで、2時間ちょっとの滞在であった。

毎回同じではあきるかな、と先週はピザを食べたが、今週はいろいろグルテン多めだったのでチキンと100円白ワイン、ドリンクバーという最近の定番メニューというか、個人的な「サイゼリヤ定食」を食べた。

2時間もなにをするか、ということだが、まずは家では本を読めないのだ。とにかく場所を変えないと読めない。前は電車通勤であったが、今は歩きなので1行でも読もう、ということが難しい。食事をするとそのあとネットかゲームがYOUTUBEになってしまう。TVや新聞がないのだが、全然暇がないのだ。

そういう意味では今回はサイゼリアに読みかけの中村稔、「メリナの国で」を持参した。

バスは車体を洗われ、朝の光のなかで新品のように輝いて見えた。
わたしはオデットの足元に置かれた大きな鞄を下げて歩き出した。オデットはされるがままにしていたが、しかしこの度はわたしのショルダーバッグを持ってくれなかった。
薄い色のついたバスの窓硝子ごしに、いくつもの顔が二人の近づくのを眺めていた。
山田稔 メリナの国で 新編 旅のなかの旅 P.92
ツアーで同行となったパリの医学生に、学生と間違われた50歳の山田さんのギリシャ旅行譚だと思って読みだすのだが、なんというか詩的な魂が浮遊している感じがある。

なんとも表現のできない読み心地である。私は山田稔さんを知ったのはごく最近であるし、なぜ山田さんにたどり着いたのかも記憶がないが、

チャーミングなよみごこちである。

京大仏文の教授であった山田さんは、同じく京大仏文のすこし年上の教授であった生田耕作のことを、おもったとおりの筆で書かれている。

私などは「京大」「仏文」というだけで怖気づいてしまうわけだが、そこは年下とは言え同じ職場の先生同士、世間の他の人よりも思ったことを言えるのかもしれない。ただそれだけではなく、そうすることが山田さんのダンディズムである気がする。

ダンディズム、といえば生田耕作の専売特許のような雰囲気が(個人的には)あるのだが、その生田のダンディズムになにかどこか山田さんは違和感があったようにも思う。勁い、意思、自然体でいることの勁さ、のようなものが。

そのことは、山田さんが京大名誉教授の称号を辞退されたことと、裁判となるときの有利不利も斟酌して京大名誉教授の号を敢えて求めた生田耕作の、生き方の違いであろう。

これは、けっこう、厳しい関係だ、という気もする。あるいは生田氏が受けたことが中村氏が辞退したことに、1%くらいは無意識で関係している気がするのだ。

そうでなければ、名誉教授と名刺に刷った生田氏の批判はできないだろうから。

(芸術と、生き方の、ぶつかり合いでしょうか。。下種の勘ぐり、になっているかもしれませんが)

f:id:mamezouya:20230517071202j:image