夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

フランス憧憬。山田稔氏の本を2冊ほど読了した。

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狂気なしで生きている人は、自分が思っているほど賢明ではない。
ラ・ロシュフーコー
山田稔氏の本を2冊読了した。

こないだ 2018
山田稔自選集1 2019

私は山田稔氏の文章がなんとも好きである。

氏は1930年生まれで現在92歳であられるという。上記2冊は図書館で借りたので急いで読みだしたが、読みだすとなんとも止まらない。

冒頭で引用したのも、山田氏がフランスで購入されたという箴言が書かれた絵葉書の言葉である。

私は駆け足でしかも仕事でパリに行ったことがあり、ありがたくも一生で一度は行きたいと願っていたギュスターヴ・モロー館をじっくり見て、そのあと時間がなくなり文字通りルーブル美術館を駆け抜けたことがある。じっくりパリを満喫したことは無いが、行けただけでも人生丸儲けだとは思っている。

フランス、という国は、ずっと私にとっても特別な国であった。祖父がフランスに留学し、帰国後フランス語教師をしていた、ということを、初孫であった私はなんとなく人生の初期の段階でまあ、把握することになったからだ。

だが、孫の目からみた祖父は、とにかく「ビール腹がでかい人」であった。私が7時からマンガをTVで見たいというと、NHKのニュースをみなあかん!と幼児と同視線で言ってくる人であった。私は子供心に「ここはこどもに普通譲るんとちゃうんか」と思っていたものだ。

だがその後も旅先(フランスやドイツだったようだ)から絵葉書などを送ってくれ、お土産だといってフォークソング(文字通り土着の歌のやつだ)のカセットなどをくれたりする、なかなかいい「おじいちゃん」であった。

どのような研究をしていたのかはよくわからない。専門がなにかもわからないが、それでも「フランス」という国は今でも私の心の中では特別な場所にあるのである。

山田稔氏は、京大の仏文科教授であった。

関西人にとって、やはり京大、というのは特別な位置にあると思う。なんとなく「日本の文化の中心」という印象がある。

私は縁がなく、一度も行ったことはないが、行けるような頭があったらなあ、という感じはあった。

山田氏の文章は、1930年生まれの氏がその交流や友人関係や師匠筋の思い出を記録したような主題が多い。特に年代的にも2018年に刊行された「こないだ」では、亡くなった友人や師匠筋の人たちの思い出を、ご自身の日記などを紐解きながら述べられるものが多い。

だが、その文章は、随想、ということにはならず、「小説」となっている。別になにかが意識的に変えられている、というわけではないだろう。事実を記しつつ、なぜか「私小説」といった趣を感じるのは、考えてみれば不思議である。

図書館であるので、とにかく読みだしてしまうのだが、そのほかに去年10月に神保町に引っ越してから、それこそ近くの古本屋で、じっくりさがして山田氏の本を数冊購入しているし、ネットでも買っている(積読中)。あと、氏の文章で勧められた本はなぜか読みたくなって、購入してしまう(文中で山田氏ご自身は自著が古本屋で売られているのに出会ったことはないし、他の作家が友人と古本屋に行って、自著(全集)がたぶん安値で売られているのを友人が見つけ、必死で作家を店の外に誘導する、という引用をされたりしているが)。

最近では、この場でも前に書いたかもしれないが、アクセル・ムンテの本などにも出合った。大変、面白い本であった。

私はやはり世代が違いすぎて、氏が愛する文学、たぶん私小説、といった分野はあまり読んでいない。氏は長く「日本文学を読む会」などに参加・運営されていたようだが、1992-4年くらいで「小説が面白くなくなり」数十年(30年位?)続けた会を終了されたりしている。

私はファンタジー文学中心に、その後ミステリーやSFも読み、あとは幼時より今までマンガ濫読であるので、いわゆる純文学や私小説、にはあまり縁がなかった。勿論村上春樹は大好きなのだが、上記年代的に、もしかすると山田氏あたりの世代は村上春樹村上龍あたりの作家にはアレルギーがおありかもしれない、と勝手に思ったりしている(このあたりはまたいろいろ読んでみたい)。まあ、私的には村上春樹は広義の”幻想文学作家(いい意味で)”と思っているのだが。

今回も、「こないだ」を読んで山田氏の本「マビヨン通りの店」を注文し、「自選集」を読んで近松秋江の「黒髪」を含む本を注文してしまった。

近松秋江、という名は、今まで一度も聞いたことがなかった。まあ、当時も「痴情文学」などと言われたそうであるが、そうしたとほほ要素こそが今となって読んでみたくなる部分である。

同自選集1より引く。

すこしずれるが、毛沢東だったかが、作家が創造的であるための条件を三つ挙げていた。
一.若いこと。 二.貧しいこと。 三.無名であること。
山田稔自選集1 P.166
決して若くはない私であるが、なんとなく元気が出ることばではないか。

(貧しくて、無名であることはやはり起爆力になる気がします。いわば”凶”のくじを引けば、あとは上がるだけ、といったような)