夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

トレーニングの効用と片山廣子の猫のこと。

今朝の体重65.3kg、体脂肪6.6%(だったかな??)。

よくわからないが体重が減った。まあ、1kg程度であるが。

あまり関係がないかもしれないが、昨日は1週間ぶりにトレーニングセンターへ行った。1回500円、ロッカー10円、ドリンクは120円、計630円。

だいたいルーティンが決まっている。スミスマシン30分、18kgダンベルで肩あたり3セット、懸垂順手10回x3,逆手10回、ぶら下がり足上げ系3種類。ストレッチなどを行い、空いていれば1時間20分くらいである。

前は1回2時間以上やっていた記憶があるが、あまり長時間やるのは逆に良くない、という事も聞いて、なるべく高負荷で少ない回数、時間も早く切り上げることにしている。

週に2回できればいい感じである。1週間あけると、今日は肩あたりに筋肉痛が来ている。なまっていると2日後に来るのだが、今朝来たのである意味ほっとしている。

レーニングをして思うのは、筋肉量アップが目的というより、気持ちの切り替えにすごくいい、ということだ。高重量を扱うと、疲れるのだがへとへとというほどでもない。終わって帰るときにはすっきりした感じがすごくするのだ。

なんというか、気力がわく感じがある。やはり最低週に1回はやりたいと思ってる。

東北に 子の住む家を見にくれば 白き仔猫が鈴ふりゐたり

昭和29年1月20日(1954年)印刷の片山廣子第2句集「野に住みて」の冒頭を飾る一句である。

二人の子を成した廣子であったが、長男長女とも子供はなかった。頼りにした頼もしい長男は、40代初めで亡くなった。

昔の家々には庭にいろいろな家や野良の猫が訪れたのであろう、という幻想が私にはある。猫には別に「自分はどこそこの家の猫だからほかの家の餌はもらわない」という思いはないだろう。

そういえば「猫にご飯をあげる」という言い方をひどく嫌う人がいたような気がする。「やる」といえ、というのだろうか。

こういう心理は興味深い。私はどちらかというと「あげる」派である。犬や猫が家族であるのなら、他より大切に思うのはあたりまえだ、と思うほうだ。だがその心境の吐露に対し、ここまで嫌う人がいるのはなぜだろうか。

つまりは犬猫を含んだ家族のほうが、見知らぬ他人よりも大切である、という意思表示が嫌なのだろう、と思っている。私はそういう意思表示はむしろ当たり前と思うほうだが、古い時代は、「犬は鎖につないで外にだしとけ」という人が多かったと思う。

私は実は動物園が嫌いであった。閉じ込められているのが、気の毒でしかたなかった。人を無理やり見世物にするのが今はいけないことだといわれている。かの著名な映画「フリークス」を見ると、見る人と見られる人、そういう世間に生まれた以上やむなくそれを売りにすること。そうい人にとっては「ではどうして生きていけというの」となるのだろう、という難しい問題にぶつかる。

話がずれたが、鎖につながれ風雨寒暖にさらされる「番犬」もかわいそうで仕方なかった。せめては撫でてやりたい、と思うものだ。

そうした犬は、大型犬故の短命もあろうが、数年で物故した。(犬で物故はいうのかな??)

まあ、犬好き猫すき動物すきなので許してもらおう。

まあ、とにかくそういう風にいじめるくらいなら、「犬に餌をあげる」のなにがいけないのか、と思うことしきりである。

いや、言いたいことはわかっている。だが、そういう人とはなかなか友達にはなれないだろうが、まあ、その真意は一度伺ってみたいと思うところもある。

(その文章にうならされる中村稔氏が、そう書かれていたのを思いだしました。あの文章を書く人がなぜにそう思うのか。これはある意味興味深いです。単なる時代の意識の差のような気もしますが)

 

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